〜第51回奄美まつり〜

奄美まつり花火大会 Machiiro奄美探訪 記事写真 1 2

掲載:machi-iro magazine #35
文:當田栄仁
撮影:惠 大造

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それぞれの生活があり、人生がある。それでも、花火大会の半刻だけは、そのまちの人の多くが顔を染めて夜空を見上げる。
御殿浜公園には夜店が立ち並び、ステージが熱く盛り上がる。「花火大会」は、間違いなく奄美まつりのクライマックスの一つだ。
今年の花火大会は、いつもと違う角度から楽しんでみよう。いざ探訪 ー

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花火師

8月4日午後4時。佐大熊岸壁にて、関係機関立会いの下、第51回奄美まつり花火大会の検査が行われた。

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奄美まつりの花火は、港湾建設業者の全面協力を得て、名瀬湾洋上の台船から打ち上げられる。一時間の間に3500発が夜空の華と散るだけに、火薬量も相当なものだ。毎年のことながら、検査現場の空気は張りつめている。

数日前から仕込みは始まっている。クラシカルな印象を持つ花火という分野にあっても技術は日進月歩で、打ち上げ内容は事前に精密にプログラミングされ、現場はコンピュータによって完全制御されている。

日本に火薬が伝来したのは、1543年鉄砲伝来の際とされる。1733年には両国の花火大会が始まり、十九世紀には「鍵屋」「玉屋」時代を迎える。

花火のかけ声と言えば「た〜まや〜」が定番だが、実は、「玉屋」は「鍵屋」から独立したものの自火を起こし、一代限りで絶えている。判官びいきの江戸っ子は玉屋の悲劇を悼み、今に至るまで玉屋びいきなのだという。

2003年4月、長年奄美まつりを担当していた鹿児島県内の花火会社が、工場で事故を起こすという衝撃のニュースが走った。周辺住宅を巻き込んだ被害の大きさもあり、その年の花火大会は中止が相次いだ。

自粛ムードが強まる中、40回の節目を迎えていた奄美まつり協賛会は九州煙火工業組合と連携して迅速に対応。懸命の調整の上、例年以上に華やかなプログラムを成功させた。

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以来、当時の会社が花火大会を引き継いでいるが、当初ほとんど内地スタッフだった現場は、多くが地元島人に入れ替わっている。地元経済の低迷が続く中、これだけのレベルの花火大会を維持できているのには理由がある。

「奄美まつりの花火は地元スタッフの存在抜きでは考えられない」と現場責任者の吉田さんは信頼を寄せる。資格も取ってもらっており、後は関係機関との交渉や企画力を研いていただきたい、とのこと。地元スタッフも、年に一度の花火大会を心待ちにしている市民を落胆させまいと、知られざる努力を続けている。

深い絆で結ばれた洋上の花火師たちは、頼もしい「男」の顔をしていた。細工は流々仕上げを御覧じろ。

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あの夏の花火

今年の花火プログラムを見ると、「キョラネセ・キョラムン」「サガリバナ」など奄美にちなんだ名称が並び、地元に寄り添い進んできた十年余の歴史を感じさせる。ちなみに、2003年のプログラムには「世界で一番熱い夏」「真夏の夜の夢」といったJポップ風のタイトルが並んでいる。

昭和39年9月発行、旧名瀬市の市政だよりには、第1回奄美まつりの様子が記されている−

「一発一発と打ち上げられる花火は澄み渡った秋の夜空を大きく色彩り、450発の花火に歓声をあげ人々を驚嘆させた。七色の花火の下では、奄美ならではの八月踊りがツヅミの音も高らかに踊られた」

第1回の奄美まつりは、7月の「商工港まつり」と10月の高千穂神社「浜下り」が合同されたもので、9月11日〜12日に開催されているので「秋」という表現が出てくる。花火の数が少ないのも驚くが、八月踊りと同時実施?と興味が尽きない。

なお、「8000人の大観衆がつめかけ」た舟こぎ競争の参加チームは僅か22、パレードの列は「延々二粁」で、大島紬の展示即売会が行われ「250反余も売れる」。世相を反映して、祭りも世につれ移ろいゆくのだと感じ入る。

閑話休題。

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今年の花火大会は、台風12号の影響により、8月1日から4日へと延期となった。結果論だが、延期してよかったと思える程のベストコンディションとなった。

夕方5時から始まったステージイベントも佳境を迎え、いよいよカウントダウン ー

確か『ノルウェイの森』の緑という登場人物が、映画館で大勢の人が唾を呑み込む音が好きだと語っていた。カウントテンからしばしの間合い。夢のひと時を待ち望む、人々の顔を想像するのは楽しい。

空が染まる。追いかけるように音が降る。無数の星が走る ー

今年の花火は、もう「あの夏の花火」になってしまった。それぞれの心の中だけに、いつまでも美しく咲く。

『おにいちゃんのハナビ』(高良健吾・谷村美月主演)という映画がある。新潟県小千谷市片貝町を舞台に、引きこもりの兄が、花火を通じて余命わずかな妹から生きる勇気をもらい再生する、感動の実話だ。

片貝は雪深い小さな町だが、9月9日・10日の二日間にわたって尺玉を中心に15000発を打ち上げる「世界一」の花火の町として知られている。三尺玉発祥の地でもあり、世界最大の四尺玉を上げる(現在の奄美まつりは最大で一尺玉)という。

規模以上に印象に残ったのは、「奉納煙火」という、地元企業や個人が色々な思いを込めて地元神社に花火を奉納する伝統だ。映画では、主人公を含む同級生が厄年奉納に向け、ほぼ一年かけて準備を続ける様子が生き生きと描かれている。

本当に花火が地元に根付いているのだなと思う。江戸時代からの歴史あってのことなので、簡単に比べる訳にもいかないが、奄美まつりの花火は、見る側・寄付する側・打ち上げる側という三者の距離がもっと縮まってもいい。

現在、手軽な例としてメッセージ花火やネーミング花火が行われているが、十分に定着しているとは言いがたい。片貝町の奉納煙火のように、一部の花火を特定してグループでスポンサードするのも、素晴らしい記念になると思うのだが。

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ちなみに、保安距離は確保されており二尺玉を上げることは可能だ。周囲を山に囲まれた名瀬湾という環境での二尺玉は、花火の贅の極みというものだろう。市民有志の思いを寄せ合って打ち上げる孔雀玉を夢見る。もちろん実現すれば、ご芳名を読み上げていただこう。

花火があがる

誰にとっても花火の思い出は代えがたい大事なものだ。そして、それはとても個人的なものだ。

勢いよく天に舞い上がり、美しく花開く。そして、その瞬間から、儚く夜空に散っていく。花火は人生そのものであり、これほど歌いこまれてきたモチーフも少ない。

花火は、火薬という武器を平和利用することから、平和のシンボルと言われる。また、両国花火大会は、享保の大飢饉による死者への鎮魂の思いを込めて始まっている。夏は祈りの季節でもあるのだ。

花火師はじめ花火大会のために尽力する人々。もう会うことができない誰かの面影。つないだ手と手のぬくもり。永遠の夏のときめき。様々な思いをはせて、今から来年の花火大会が待ち遠しい。

はなび花火 そこに光を見る人と 闇を見る人いて 並びおり
俵 万智

『花火』 北原白秋
(前略)
花火があがる、銀と緑の孔雀玉……パツとかなしくちりかかる。
紺青の夜に、大河に、夏の帽子にちりかかる。
アイスクリームひえびえとふくむ手つきにちりかかる。
わかいこころの孔雀玉、ええなんとせう、消えかかる。

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