〜眠れる宝の島〜

奄美探訪 0001

掲載:machi-iro magazine #52
文:當田栄仁
撮影:惠 大造 當田栄仁(浜下り) 惠 枝美(空撮・沖縄)
魚・漁の写真提供:奄美漁業協同組合

奄美探訪ロゴ

奄美空港の離発着。天候の良い日は、碧い海が目を楽しませる。
タイミングが合って笠利町全域が視野に入ると、思いの外、小さいことに驚く。
空の玄関口であり、観光資源も豊富な奄美大島北部は、明るく元気なイメージが強い。
今回は、とあるプロジェクトをめぐる笠利の漢(おとこ)たちの物語へ。いざ探訪−

漢その一 〜 fisherman 〜

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約束の時間に奄美漁協笠利本所を訪れると、揚場に立つ男性から声をかけられる。「まあ入れよ」と事務所に導かれる。

「どっから話そうか?」手をもみ話しかける赤銅色の笑顔と鋭い眼光だけで、只者ではないことがビンビン伝わってくる。

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男性の名は、濵崎房生さん。漁師になった若い頃から、「量」優先で魚価が乱高下する状況に不満と不安を抱えていた。漁獲量が少なければ値が跳ね上がり、獲れ始めればガタ落ちするので、おのずと漁師は危険を冒して漁に出る。漁師同士がつぶし合えば、全体の資源管理もままならない。

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まず房生兄が始めたのは、「量」から「質」への転換だった。これまで、釣ったまま水槽に放り込んでいた魚を、「沖締め」しようと取り組んだ。笠利地区の主力魚種は、決して大型ではない。これを全て施すのは、かなりの手間であり負担になるはずだ。しかし、これによって獲った魚の鮮度は劇的に変わった。活路が見えた。

しかし、仲間内で始めた取り組みも、漁協としてまとまらなければ評価は上がらない。実際に質のいい魚でも「あぁ、あっちの魚はこんなもんだよ」とレッテルを張られては、魚価は上がらない。

ここからの道は困難を極めた。「こんなことしても10円上がるかも分からんのに」と文句を言う守旧派を変えるには、根気強い議論と結果を示すしかない。漁の合間を見て、研修に出かけるなどして締めの技術を学んだ。機器類を含め鮮度保持に関する情報を集めた。

驚かされるのは、自分の金と労力を費やした技術を、惜しげもなく他人に教えるオープンな姿勢だ。「何で教えられるんですか? もったいなくないですか?」と問うと、「なんで? 皆で取り組まんば組合全体が良くならんのよ! 当たり前のことじゃがな!」と逆に驚かれる。

素直に思う。この人かっこいい。多くの漁師が、この兄に憧れ、またリードされている。男が惚れる漢。濵崎房生兄は「指導漁業士」として、正式に指導的立場にも立っている。

ヘナチョコ島人ながら、一応「現場主義」を掲げる本企画。今回も、房生兄の船に乗り込み、沖での漁と沖締めの模様を取材するつもりでいた。泊りの漁もあれば、日帰りなら朝三時から深夜までの操業だ。

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悪天候が予想されたため、残念ながら今回の現場取材は回避したのだが、実際、この期間中に水難事故が相次いだ。本物の漁師は、やはり海を分かっている。正直、僕は胸を撫で下ろしていた。

最後に笑って声をかけられた。「お前なんか、本当に漁を取材するつもりだった訳?」。精一杯虚勢を張って返した。「もちろんですよ。また今度お願いします!」

その時、プロジェクトが動き出した!

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締めの技術は「神経締め」の段階まで進化する。血を抜くだけでなく、脳神経を破壊することで死後硬直を防ぎ、うま味を保つ。市場の評価は更に上がっていった。

平成二十五年、泊市場に出荷されていた魚がきっかけで、沖縄県内大手小売業者「サンエー」との相対取引が始まる。相対取引とは、市場に左右されない直接取引であり、お互いの信頼関係が前提となる。乱暴に言ってしまえば「うちが買うから獲れた分だけ持ってこい」ということである。大きな後ろ盾ができたことで、笠利の漁業は、本格的に量から質の漁業へと移行していく。

そして平成二十七年、房生兄と後述する奄美市笠利総合支所の担当職員が、同じ夜別々にNHKの番組を視る。紹介されていたのは「UFB(ウルトラファインバブル)」。極小ナノサイズの気泡が作る高窒素超低酸素水による鮮度保持、という画期的な技術だった。

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翌朝の二人の直談判に漁協組合長は即決。「北九州へ飛べ!」と叫んだ。この時、これまでの関係者の地道な努力の積み重ねが、大きな歯車を動かし始める。「奄美鮮魚笠利産」のブランド化という、ビッグプロジェクトが動き始めた。

話はトントン拍子に進む。現地を訪れた二人は、装置の実用性を確信。即発注し、二か月後には九州初の納品となる。先進的な取り組みは苦労も多い。水温との兼ね合い、魚種ごとの効果など検証が続く。検証結果はメーカーにフィードバックされ、装置の改良が進む。

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このプロジェクトの成功の秘訣は、進化を止めない所だ。その後、紫外線流水殺菌装置を導入し、水質が更に向上する。揚場の衛生面と効率面も大幅に改善された。船にUFB水を積み込み、沖締め直後に漬け込む取り組みも進められている。

販路拡大は進む。空輸による最速流通をうたう「羽田市場」との取引を開始。「奄美鮮魚笠利産」は、首都圏だけでなく海外へも流通し始める。

特殊な装置によって加工されているとはいえ、「水」で魚の鮮度が保てるとは、読者の皆さんも俄かに信じられないのではないか。僕も同じくだ。しかし、取引先の評価と消費者の支持は絶大。味・食感・臭いが抜群で、かつ日持ちがする。「多少高くてもいい、この魚にしてくれ!」。奄美の産品で、これ程のブランド力を発揮している例を知らない。

確かめる方法がある。笠利の漁協を訪れて欲しい。そこにUFB水に魚を浸けこんだコンテナがあるのに、場内に全く臭いがないのだ。恐らく一般家庭のキッチンよりも。HACCP(ハサップ)認証も視野に入れているという話は、決して大げさに聞こえないはずだ。

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漢その二 〜 chairman 〜

トップが最強の営業マンである組織は強い。龍郷・大和・住用を含む奄美漁協全体をけん引する柊田謙夫組合長は、そんな好例だ。

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取材当日は組合の総会が行われており、休日とはいえ関係者が行き交う賑やかな雰囲気だった。組合長応接室での房生兄へのインタビュー中、組合長が駆け込んでくる。笑顔と大声で、ひとしきり「奄美鮮魚笠利産」を語り、走り去っていく。

小柄な身体から迸るエネルギー。あぁこの人になら任せても裏切られることはないだろうと、根拠のない安心感を持つ。

奄美漁協、合併前の笠利漁協の歩みは、決して順風満帆ではなかったと聞く。不安定な漁獲高、燃油の高騰、資源の減少。自ずと組合の財政はひっ迫していく。

そして、組合長の英断によるプロジェクト始動。そこからV字回復が続く。

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4地区を束ねるトップとして、調整事項は多岐にわたる。組合長の姿勢は一貫している。共に歩む者に対しては、自ら胸襟を開き、全てを与える。そうでない者に対しては、きちんと一線を引き、時としては断固たる姿勢を示す。ブランド化の取り組みについても同様だ。

プロジェクトの肝は、組合と漁業者との絆の固さだ。漁業者は獲る。そして、しっかりと沖締めを施して魚を揚げる。組合は、UFBを軸に、可能な限りの鮮度保持を行い流通に乗せる。時には厳しいチェックをし合いながら、互いの役割分担をきっちりとこなしていく。そして、両者の要に、あまり椅子に座ることのない組合長(chairman)がいる。

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夢は広がる。事業の順調な成長に伴い、現在の笠利本所では広さが不十分になりつつあり、東海岸の宇宿漁港への移転が計画されている。まだ構想段階ではあるが、ここではUFB関連施設の増強、喜界漁協との連携強化に加えて、「奄美鮮魚笠利産」を地元や観光客に味わってもらえる施設が整備されることだろう。

「奄美漁協の未来は明るいよ〜」と心からの笑顔で語れる組合長が、奄美に限らず全国にどれ程いるだろうか?

ウンギャルまち笠利

笠利の主力魚種「ウンギャルマツ(和名:アオダイ)」は、僕にとって「イュン汁(魚汁)」に入れると美味しい魚。奄美全般で親しまれている魚だと思う。

相対取引による島外出荷の増加は、一方で島内の流通不足にもつながりかねない。地元に愛されてこそのブランドということで、鮮魚と「笠利ウンギャル丼」を提供する店を紹介するというのが「ウンギャルまち笠利」という取組だ。

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今回、笠利の「レスト&ロッジ翔」と名瀬の「大蔵」にて、「笠利ウンギャル丼」をいただいた。翔は「あんかけチャーハン」風、大蔵は「鯛茶漬け」風と異なる趣向で、それぞれ味噌に漬かったウンギャルマツを味わえる。ぜひウンギャルマツの新しい魅力を知っていただきたい。なお、ティダムーンやばしゃ山村では、より観光的な趣向のメニューを楽しめるとのこと。

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驚くのは、各店舗で「笠利ウンギャル丼の掟」なるレギュレーションが遵守されている点だ。ご紹介しよう |

  1. 鮮魚処理を施した、笠利産ウンギャルマツの身を利用する
  2. 笠利産ウンギャルマツでとった出汁を利用する
  3. 奄美漁業協同組合の「生もずく」を利用する
  4. 各々工夫して、島への「想い」が詰まった丼にする

更に「笠利ウンギャル丼」として商標登録している点もぬかりない(登録日18/10/26)。最近、奄美を代表する郷土料理について、普及に伴う全体の質低下が目立つ。知名度の違いこそあれ、取組としては参考にすべきではないだろうか。

魚食は生活であり産業であり文化でもある。そこに海があって生き物がいても、獲るためには特殊な技術が必要であり、たとえ獲れても、食べる文化がなければ捨てられることになる。そのロス分を生かして特産品にしてしまおう、現代の嗜好に合った形で食べてもらおうというのが女性部による「魚匠」の取組だ。

最初は、漁にも被害を与えるサメの身を利用した加工品だった。その後、ソデイカ・生もずく・カンパチ・夜光貝と次々に商品化されている。おススメは「あおさんぼう」と「もずくんぼう」。ヤムラランというやつだ。

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忘れてならないのは「魚匠バーガー」。毎週金曜日限定で作られ、店頭と行商で販売されている。バンズも、笠利町内のパン屋でこだわりぬいて作られている。これは一度、食べた方がいい。魚がより一層好きになるはずだ。祭りなどのイベントで出店する場合もあるので、見かけたら即買いを。

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実は、魚匠の各商品については、世界的ソムリエ・田崎真也氏からも助言をいただいている。田崎氏は、大の奄美と言うか笠利ファン。田崎氏が「抜群」と評価する島イショシャの操舵技術と海に魅了され、年数回は来島されている。

「ウンギャルまち」の魅力は、世界基準だ。

漢その三 〜 man to man 〜

取材の段取りを頼んだ男が漁協事務所に入ってきた時、同行したスタッフは、まさか彼が公務員だとは思いもしなかったようだ。肌も髪も赤茶け、外見からは漁師の雰囲気しか感じられない。彼の名は中江康仁。公務員であると同時に、漁師であり農家でもある。受けた印象は間違いではない。

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平成二十年度、彼が笠利総合支所の水産担当になった時から、奄美漁協の時計の針が進み始めた。まずは、房生兄らが取り組んでいた鮮度保持への取り組みを、徐々に成果に結びつけた。公務員として条例上やらなければならない範疇を飛び出し、共に取り組み、サポートを続けた。

「ウンギャルまち笠利」や「魚匠」については、中江がリードしたプロジェクトと言っていい。そろそろ異動という頃になると、組合長自ら市長に残留を直談判し、在任期間は八年に及んだ。これは公務員にとって幸せなエピソードだ。

某国立大学硬式野球部のエースを務めた長身の男は、肩を壊した後、業務上で野球以上の才能を見せ始める。特に、新産業創出の分野を手がけ、産官学を集積する産業クラスターの取り組みの中で彼が育んだ芽は、各々成長を続けている。水産担当後のサトウキビ担当、雇用担当としても、次々と補助事業の導入や新規事業の展開を続けている。

色んな意味を込めて「スーパー公務員」と言える。食事を兼ねた大蔵でのインタビュー中にも、商店街活性化について、ややニッチながら興味深い提案を繰り出してくれた。

しかし、やはりどこまで行っても公務員は公務員なのだ。打率とてそう高くはない。彼の最大のヒット作である奄美漁協の取り組みであっても、やる気と能力とを兼ね備えた当事者との化学反応があってこそ生まれたものであることは間違いない。

ただ、公務員の顔を捨て「腹を割る(man to man)」という基本姿勢は、プロのバイプレイヤーとして僕自身も大いに学びたいところだ。まあ、公務員の鏡と言っている訳ではない。彼の服務上の問題については、僕から言うべき言葉は…ないな笑。

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浜下り

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突然のトゥジ関係の悔やみのため、取材日を挟んで、思いがけず連日笠利に通うことになった。酒席では、ゆっくり親戚やシマの皆さんと語り合うことができた。浜下りにも来いと誘われ、喜んでお邪魔した。

大潮にあたった浜では、のどかな舟こぎが行われる。荒天も予想されたため、生活館での懇親会に重きが置かれているようだ。自ら舟を運び、漕ぎ、直す青壮年。おつかれさまです。

宴席は賑やかだ。敬老者が座の中心にいて、自ら先陣を切って余興を披露する。島唄は、出身の奄美民謡大賞受賞者お2人。子供たちの可愛い余興で大いに盛り上がる中、「だいぶ寂しくなったや」という呟きがあった。聞けば集落には、小中学生ともに3世帯6名しかいないとのこと。

全国の地方で、おしなべて過疎化と少子高齢化が進む中ではあるが、笠利町の人口もここ20年で約2割減(2000年6977人→直近5605人)と楽観視できる状況ではない。酒席で「笠利は合併して損したのよ」と話題になるのは、真偽はともかく無理はない。Iターンが増える一方で、集落行事の負担を避けるように町外で家を建て、転出する若者も少なくないと聞く。

一方、今回のプロジェクトにまつわる明るい話題もある。今春、地元の高校を卒業した房生兄の息子は、跡を継いで漁師になった。他にも続々と後継者が現れ、喜界島などから漁師が移住する例も出始めている。取りも直さず、相対取引によって安定した収入が見込まれ、新規参入も容易になったからだ。今の島の若い子は、仕事さえあれば島で暮らしたいと思っているのだ。

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笠利町と龍郷町が、奄美大島の最もくびれた部分を境に南北に分かれているのは、ご承知のとおりだ。温帯と亜熱帯を分かつ七島灘の渡瀬線とは比較できないが、笠利町とそれ以南とでは、大きく自然の様相は変わっていく。

まず、笠利町には殆ど山らしい山がないため、経験的に雨が少なく感じる。またアマミノクロウサギがおらず、イノシシの被害も少ない。ハブはいるので長く隔絶されていた訳ではないだろうが、時代によっては別々の島として海で隔てられていたとも考えられる。

小島ほどの広さで山も深くはない笠利だが、親密な絆を築きつつ外洋に漕ぎ出す気質が、このまちにだけ燦燦と陽が差しているかのような輝きを与える。

「ウンギャル」の「ウン」は「海」。「ウンギャルマツ」とは「海のような青みがかったフエダイ」という意味になる。笠利のイメージカラーと問われれば、すぐに海の碧が浮かぶ。「ウンギャルまち」とは、中々の命名ではないか。

気づけば浜下りの宴席は、組合長や房生兄と見間違うような漢たちだらけで、怒涛のごとく佳境へとなだれ込んでいった。

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