「のの」が語る夢

奄美探訪 大島紬 9

掲載:machi-iro magazine #51
文:當田栄仁
撮影:惠 枝美
取材協力:
 本場奄美大島紬協同組合(奄美市名瀬浦上町48-1 TEL0997-52-3411)
 株式会社 都成織物(奄美市名瀬平田町2-11)
 株式会社 銀座もとじ(東京都中央区銀座4-8-12)

奄美探訪ロゴ

幼い頃は、祖母の紬工場に通った。親子ラジオから流れる島唄に、蝉しぐれが重なる。工場の板張りはヒンヤリとして、規則正しい機の音と共に午睡に誘う。かつて奄美の基幹産業とも生命産業とも言われた大島紬の苦境については、既に語り尽くされた感がある。奄美で生まれ育った者はみな、大島紬にまつわる風景に郷愁を禁じえないが、今そこには、諦観と犯人捜しにも似たアンタッチャブルな空気さえ漂っている。大島紬は死んだのか?そんなはずはないと信じるから筆をとる。いざ探訪 —

Kasuri

あらゆる分野において「三大○○」という言い回しが使われるが、「日本三大紬」と挙げた時に、大島紬が外れることはない。呉服の中でも、「紬」という高級おしゃれ着の分野において、今なお「大島」は絶対的な知名度とブランド力を誇っている。

知る人ぞ知る事実だが、現代の大島紬は厳密には「紬」ではない。そもそも紬とは、残り物の繭から手で紡いだ「紬糸」を織り上げた着物を意味する。紬糸だからこそのザックリした洒落感と強度、独特の高級感が持ち味だ。

大島紬の創成期では紬糸が使われただろうが、現在は他の着物同様に「生糸」が使われている。織り方にしても、縦横を交互に重ねる最もシンプルな「平織り」のみ。では何をもって大島紬が高く評価されるのかと言えば、ズバリ「絣」の技術と言える。

「大島紬は二度織られる」と言われる。模様を描く「絣糸」の、染めない部分を綿糸で締めた上で、全体に染めを施したのち綿糸をほどき、並べ直して再び織る。

奄美探訪 大島紬 6

幅約40センチに1,240本並ぶ経糸(たていと)と同密度の緯糸(よこいと)、一本一本に染め抜かれた点が、最終的に織機の上で経緯合っていく様は圧巻だ。

友禅はじめ多くの着物が白生地を後から染めているのに対し、先染めして絣を合わせる技術は、世界的にも散見されるが、大島紬の繊細さと美しさは群を抜いている。点(ドット)をもって描く世界観は、絵画で言えば新印象派か米法山水か。

特に奄美産地については、泥染という、地域の自然に根ざした特徴的な染色技法も合わせて、工程の最初から最後まで、徹頭徹尾、職人の手仕事による。

こうした産地は全国的にも殆ど類がなく、奄美の人々が生み出した「奇跡の織物」と呼んで差し支えない。

挑戦

奄美探訪 大島紬 1

紬組合青年部の黒田会長に取材をお願いして、名瀬平田町の都成織物を訪れる。

現在40歳の黒田さんは、神奈川県相模原市出身。年齢よりも、ずい分と若々しく見える。前職は銀座にオフィスを置く広告代理店で、結婚を機に奄美に来られたIターンならぬ「Y(嫁)ターン」だ。

最初に事務所内で、義父にあたる社長と共に構想段階のお話をうかがう。都成織物は、龍郷柄・秋名バラ・西郷柄といった伝統柄ではなく、伸びやかなオリジナルの大柄に取り組む特色ある機屋(メーカー)であり、製品作りは「構想」から始まる。

ファッション誌、テレビなどの映像、街行く人々、自然界。貪欲にモチーフを求めて、これはと思う柄の図案化を図る。絣を用いる大島紬は、柄の繰り返しなど製作上の制約があるため、コスト面を含め、製品化にたどり着くまでには数年かかることすらある。

作業場に移り、「整経(せいけい)」を見せていただく。図案に基づき、織り上がりを想定しながらハエバタに糸を張っていく作業は、全てが動き出す出発点であり、見た目以上に重要な工程だ。ここで束ねられた糸数の分だけ同柄が作られる、いわゆるロット数となる。

そして、大島紬の「肝」と言える「締(しめ)」だ。この段階で、染めない部分を綿糸で締める防染が施され、柄を作る絣糸となる。他産地では、いまだに手括りで行われているこの作業を、高機でできるよう改良した締機(しめばた)の開発(明治四十年頃)が、大島紬史上最大のリノベーションと言われている。皮肉なことに、力を必要とするため男性中心となっている締職人の後継者不足こそが、大島紬全体として喫緊の課題となっている。

黒田さんご本人には、泥染が終った絣に色を刷り込み、絣から綿糸を解く「加工」の工程を見せていただいた。孤高の日本画家・田中一村が携わった工程としても知られている。黒田さんは、作業に没頭しだすと、楽しくて時間を忘れると言う。

奄美探訪 大島紬 2

素朴な疑問。一見、華やかな世界から地味な伝統産業への転進に、不安や不満はなかったのか?黒田さんとしては、自ら望んだことなのだという。ゼロから一つの商品を作り上げる仕事をしたかったし、正直、社長業にも興味を持っていた。

現在、会社専務の黒田さんは、製造に加えて、出張先で実演を行い販売にも携わっている。お客様の喜ぶ顔まで見られる仕事なんか、そうそうないですよ。黒田さんは充実の笑顔を浮かべている。そこに、斜陽産業に携わる陰のようなものは見当たらない。

前の会社で退社のあいさつをした時、同僚や上司に心底うらやましがられたそうだ。都会の広告代理店なんて、朝9時から夜中の2時3時まで働いて、家には寝に帰るだけ。自分の仕事が喜ばれている実感はないし、実はみんな、仕事さえあれば奄美みたいな土地で暮らしたいと思ってるんですよ。

大島紬に限らず、和装産地に共通する課題は、自ら発信する力だ。独りよがりもいけないが、常に、自分の内面から湧き上がる創作欲と時代の風を感じながら、新たなモノづくりへの挑戦を続けることが必要だ。都成織物のような機屋、黒田さんのような若い作り手の「挑戦」が、明日を切り開く光に見えた。

大島紬が生き残っていくためには、何が必要だと思いますか?という問いに対して、黒田さんの答えはシンプルだった。

「産地が一つになること。そして、切磋琢磨すること。」

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NEXTプロジェクト

昨夏、紬組合青年部が中心となって「本場奄美大島紬NEXTプロジェクト」が立ち上がった。技術継承の瀬戸際に立たされている大島紬を、若い世代の手で作り、同世代に着てもらうことを目的に立ち上げられたクラウドファンディングだ。

大島紬の技術が「高度化」すると同時に「大量生産」が進むと、当然の流れとして「分業化」が進んだ。図案・締・染色・加工・織。それぞれの工程専門の職人が、機屋の統括の下、仕事を受け渡していく。

巨大化した恐竜と似ている。全盛期に我が世の春を謳歌した巨体は、冬の時代を迎えた今、環境の激変に上手く順応できない上に、一つの器官が機能不全を起こすことで、全体の生命すら危うくなっている。

プロジェクトの衝撃と意義は大きい。メンバーの中心は機屋の後継者。本来の業務は製作の統括や問屋筋との交渉であり、昨今は、島外での出張販売も多いと聞く。

近い将来、社長に就任するであろう彼らが、みんなで話し合って柄を決め、糸を発注し、図案を起こす。更には、締〜染〜加工〜織と、会社の壁を超え、自らの手で作業をリレーしていった。

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社会全体が人材不足に悩む中、職人の減少自体は避けようがない。少ない人数で工程をカバーするには、分業化した工程を複数こなしていくしかない。時には、機屋間で原料や職人の貸し借りも必要だろう。最近の言い方をすれば、今回は、大島紬における「シェアリングエコノミー」の取っ掛かりを作ったと評価できる。

加えて画期的なのは、消費者が購入する段階の上代(じょうだい)価格を、作り手側が決めて公表していることだ。プロジェクトは、産地が生き残っていくために必要な、工賃を含む適正なコストからの価格設定に取り組んでいる。問屋を経由する既存の流通ルートでもネット購入でも同価格とのこと。

これまで、韓国紬問題に代表される技術流出、産地価格の下落など、産地を、中でも職人を苦しめてきた問題の多くは、産地自体がまとまらないことに起因していたように見受けられる。クラウドファンディングとは名ばかりの単なる資金調達が増える中、チーム一丸となったNEXTプロジェクトは、流通を含む大島紬改革の口火を切ったと言える。

現在、クラウドファンディングとしては、目標額を達成して、既に最初の一反目は支援者にお渡しし、流通から引き合いのあった残り五反を製作中。今後の展開を検討している。

並行して、NEXTプロジェクトのメンバー数名は、大島紬の海外展開を目指して「JAPANブランド育成支援事業」に取り組んでおり、今年度、最終年度を迎える。一つの成果として、フランスの生地問屋との商談に目途が立ったとのこと。これからの商業的な展開が楽しみであると同時に、彼らが海外で見聞きしたことが、いつか血肉となって大きな実を結ぶことが期待される。

機が熟していたのだと思う。メンバーの多くが、比較的自由に動ける立場でありながら、充実した仕事をこなす年齢に差しかかっている。産地も流通もこうした取り組みに圧力をかけるどころか、むしろ期待をかけている。何より、メンバーが団結しているし、それは、これから子育てしていこうとする彼らには本当の危機感があるからだろう。

例え話の続きをするとすれば、大型恐竜から小型哺乳類への進化が急がれる。世界自然遺産登録、オリンピック、万博。これからも進むグローカル時代に、過去の遺物ではなく、モードとして大島紬が生きていれば、それこそキラーコンテンツになりうる。冬の時代を乗り越えれば、繁栄の春が待っている。

銀座もとじ

奄美探訪 大島紬資料写真 6

日本のど真ん中で大島紬を輝かせている奄美出身者がいる。「銀座もとじ」の泉二弘明(もとじこうめい)社長だ。

泉二社長は、陸上を志したものの怪我を負った挫折から、父親譲りの紬をきっかけに、銀座に四店舗を構えるまでに成功を遂げた立志伝中の人物だ。

泉二社長は、「業界の風雲児」とも呼ばれてきた。それは、仕立て上がり価格の明記、業界初の男性専門店の開店、仮縫いサービス、養蚕農家と直接契約をし、一本の糸(プラチナボーイ)からの着物作り等々、かつての呉服業界ではありえなかった「挑戦」を続けてきたからだ。

ぶれることのない哲学は「本物」であること、そして徹底的にお客様の視点に立った店作り。既存の店舗や流通からの圧力を受け続けてきたものと拝察するが、365日粋に着物を着こなして颯爽と歩く泉二社長は、今や業界全体を牽引する存在だ。

泉二社長の郷里への思いは熱く、2012年に大島紬専門店をオープンしている。17年には、350名もの参加者全員が大島紬を着て来場する、ドレスコードが「大島紬」のパーティーの開催や、奄美の織手を一名スカウトし、店舗内に機を置いて「銀座生まれ」の反物を織り上げる取り組みも始めている。

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そして、昨年で13回目を迎えたのが「あなたが選ぶ大島紬展」人気投票だ。泉二社長がセレクトした紬の中からお客様に投票をお願いし、一番人気の大島紬を決定する。一番人気に投票した方の中から、抽選で反物をプレゼントする仕組みだ。

産地からの発信が課題と先に書いたが、それは、産地が何を作ればいいのか分からないという意味でもある。かつては、古典柄か問屋が言うとおりに作れば売れる時代が続いたが、もはや自ら消費者の嗜好やトレンドをつかみにいかなければならない時代だ。

銀座もとじの人気投票は、産地とお客様を結ぶことが大きな目的であり、投票結果や反響の詳細は産地の機屋に伝えられ、今後の製品作りに生かされる。

一方、産地の表彰は、実際に着物を買う消費者ではなく、滅多に着物を着ない地元関係者の審査によって決められている。是非はともかく、顕彰制度の目的自体が、商品を売るための「箔付け」に見える。

銀座もとじの商いは、呉服全般に亘っており、むしろ大島紬はごく一部に過ぎない。しかし、今なお泉二社長は郷里に足しげく通い、産地に銀座の風を届けている。黒田さんはじめ、青年部のメンバーとつながっていることも心強い。

来る3月21〜23日の間、産地両組合を中心に銀座の時事通信ホールにおいて「2019 本場奄美大島紬展 絆kizuna 〜先人から子孫へ,受け継がれる技〜」が開催される。

以前は、奄美の物産展と言えば紬がメインで他の黒糖製品等が付いて来る形だったが、近年はすっかり立場が逆転している。東京でこれだけの催事を単独で打つのは、ずい分と久しぶりではないだろうか。

今回は、銀座もとじをはじめとする小売店や問屋など、流通関係の全面協力を得ていると聞く。産地あっての流通だし、産地だって流通がなければ、お客様にしかるべき形で商品をお届けすることはできない。

催事内容としては、選りすぐりの商品が展示販売されるのはもちろん、各工程の実演や歴史・柄の解説など深みのある内容となる。ここから、本場奄美大島紬再生の第一歩が刻まれることだろう。

「のの」着ろでぃ

僕らの世代は、機屋の後継者として悪戦苦闘している者が少なくない。その中の一人、僕の結婚披露宴の実行委員長までしてくれた男が、若い女性を見かけると冗談半ばで声をかける。

「のの織らんな?」僕はその響きが好きだ。

紬組合はこの4月、あの印象的な「紫ビル」から、浦上の旧県工業技術センターへと移転している。NEXTプロジェクトの原料が機にかかっていると聞いて訪れた。

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紬組合の移転と同時に、国と財団の支援を受けた織工養成所がスタートしている。十数台の機が並び、職人の意匠と技が凝縮された糸が、美しい指の動きで経緯に織りなされていく。トン、カラカラ。バッタン。ここには、「のの」が語る夢が生きている。

プロジェクトの反物は、千葉から来られて二年目の織工・伊藤さんの手によって織り始められていた。柄の名前はまだ付いていないそうだが、龍郷の要素が小中柄に凝縮された様は、モダンかつレトロで何とも格好いい。

僕自身、ここ数年で紬を着ることに馴染んだ(と思う)。興味はあるがどこに相談に行けば分からないと言う方は、まず紬組合を訪ねていただきたい。小物と共に豊富に取り揃えられたレンタルの着物があるし、その気になれば購入することだってできる。

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紬組合事務局には、プロジェクトメンバーでもある森山さんがいて、懇切丁寧にレクチャーして下さる。無料で工程の見学や体験もできるので、まずはお気軽に。

奄美市と龍郷町にお住まいの方については、購入と仕立てに係る費用に対して助成制度が設けられている。特に、新成人については手厚い助成が用意されており、こちらも窓口は紬組合となっている。

全国の着物ファンにとって、大島紬は最高級品であり憧れの的だが、産地の我々にとっては馴染み深い「のの」。あなたの箪笥にも、親戚から譲ってもらった紬が眠っているかも知れない。まずは僕らにできることを。地元から「のの」着ろでぃ。そして最後に。僕はスーパースターではないので断言はできないが、願いを込めて叫ぼう。

大島紬よ「永久に不滅」であれ!

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