時代は変わった
島の私たちの世代は、方言を話すのは禁止で、標準語を使いなさいという教育を受けた。でも、友だち同士や家では、名瀬で使われていたトン普通語で自分のことを男子はワン、女子はワシと、大きな声で可笑しげもなく喋っていた。その頃は、こんなにそれぞれの島やシマ(集落)のことばが貴重なものであるということを私たちは想像出来なかった。だから、普通にその教えを受けた。
大人になって、島々に伝わる昔話に出合った。昔話の世界は、奄美の方言で語られてこそ、その面白さや微妙な表現が活かされ、意味を伝えることが出来る。昔話の重要さに気づいた先人たちは激動の時代の中にあって、古語が残るそれぞれの島やシマの昔話を丹念に聞き取り、テープを起こしてまとめている。お陰で私たちは、今でも貴重な昔話に触れることが出来る。
奄美群島に伝わる昔話の本を紹介する。『奄美大島昔話集』田畑英勝、『東北と奄美の昔話』島尾敏雄・島尾ミホ、『久永ナオマツ嫗の昔話』山下欣一・有馬英子、『福島ナヲマツ嫗昔話集』有馬英子、『奄美の生活と昔話』長田須磨、『大和村の昔話』山下欣一・登山修・児玉永伯・重信三千子・重信和子、『南大島の伝説・民話・ことわざ』満元毅、『住用村和瀬の民話』本田碩孝、『保マツ嫗昔話集』本田碩孝、『池水ツル嫗昔話集』本田碩孝、『喜界島昔話集』岩倉一郎、『徳之島の昔話』田畑英勝、『徳之島民話集』水野修、『徳之島の昔話』前田長英、『徳之島の昔話』福田晃・岩瀬博・松山光秀・徳富重成、『沖永良部島昔話集』岩倉一郎、『沖永良部島昔話集』関敬吾、『知名町瀬利覚に伝わる昔ばなし』宗岡里吉、『瀬戸内町の昔話』登山修、『奄美・笠利町昔話集』笠利町教育委員会・立命館大学説話文学研究会、他がある。どの本も、先見の明で昔話の美しい方言の語りを残してくれている。その多くが音声で聞けないのは残念であるが、それぞれの話者のシマ言葉が余韻とともに聞こえてくるようである。手に取って、声にして読んでいただきたい。
ある席でこんな話があった。島の若者が「チジン(知人)を叩く」と言っている。びっくりして良く聞いてみると、「ツヅィン(太鼓)を叩く」の聞き間違いであった。方言はきちんと発音しないと誤解を招く事態にも成りかねないと事例を交えて方言伝承に警鐘を鳴らした。会場の皆が大笑いしていたが、それぞれの心に深刻さが伝わったに違いない。
シマ唄の特徴の一つもやはり方言で唄われることである。方言の発音が可笑しいとどんなに歌唱力があってもナツカシャ(懐かしい)が伝わらない。カサンウタを唄う人は笠利の方言、例えば、佐仁なら佐仁の特徴ある言葉で唄うのが佐仁のシマ唄である。方言が話せない場合は、島唄を習うと同時に、方言も習ってほしい。例えば、真似るところから入る、絵画なら模写、書道なら臨書だ。個人差はあるが、外国語を覚えるように、方言を習って真似ることでより近づくと思う。
2009年、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)は、世界で約2500の言語が消滅の危機にあると発表した。日本では、奄美の方言を含む8言語(八重山語、与那国語、沖縄語、国頭語、宮古語、八丈語、アイヌ語、奄美語)が挙げられている。奄美語は、集落が違えば言葉も違うと言われるほど多様性に富んだ言語である。
時代は変わった。あの頃、方言で話すなと教えられたのに、この頃は、消えかかっているから方言を話して奄美のPRに役立たせよという。奄美群島をこよなく愛する私たちは、今を大切に次世代へと自然や文化を残していかなければならない。平和を願うユネスコの取り組みとともに。