撮影:惠 枝美
明治35年(1902年)、12月。
菊次郎は生まれ故郷である奄美大島の龍郷にて、夏に急逝した母愛加那の墓前に。
6月に叔父従道が亡くなり、9月には母までも鬼籍の人に。今まで片脚を失い、父を失い、幾度も辛い時期を乗り越えてきた菊次郎でしたが生母の死の衝撃はあまりに大きく、宜蘭支庁長の職を辞任し、日本へ帰国する事となりました。宜蘭の人々は菊次郎との別れを惜しみ、後に宜蘭川堤防の西郷庁憲徳政碑建立へと至ります。
墓前で思うのは亡き父、隆盛が最期に残した言葉。
「親に孝養を尽くせ」と父は言い残したのに、自分は亡き母に何をしてやれたのだろうか。宜蘭の行政が軌道に乗ったらまた奄美の母のところに寄ろうとは考えていたものの、今となっては母を優先しなかった事が悔やまれるばかり。特に妹菊草(大山菊子)の家庭の状況に関しては、母に心配をかけてはならぬと考えてあまり伝えてはいなかったものの、義理の弟である大山誠之助の素行が悪く、到底幸せに暮らしているとは言えないものだったのです。
菊次郎と同じく父隆盛と母愛加那の間に生まれた菊草は、明治9年(1876年)に13歳で鹿児島の本家に引き取られ、以降、実母に会うことはありませんでした。
明治12年、菊草は許嫁であった父隆盛のいとこで、13歳年上の大山誠之助と結婚。誠之助は大山巌元帥の弟でありながらも西南戦争では薩軍の小隊長として参加していました。
途中、負傷して官軍に捕らえられた際に、大山巌の実弟と思われたくなかったがためか大山新助と名乗り投獄されてしまいます。ところがこの名乗りが刑を軽くするための改名と思われ、後々まで薩軍の仲間にそしられる原因となってしまいました。
元々は弓道の矢を造る特技の持ち主でしたが、赦免されてからというもの殆ど仕事をせず酒をあおり、妻の菊草に手を上げる始末。菊草との間には米子、慶吉、綱則、冬子と四人の子供に恵まれたものの、兄の威光で借金を繰り返します。当初、誠之助・菊草夫妻と共に鹿児島の大山家で同居していた大山家の長男・大山成美の未亡人で、西郷隆盛の実の妹である安子も、明治22年に娘を連れて東京の大山巌邸へ移ってしまいました。
明治26年1月5日、大山巌は菊次郎宛てに一通の手紙を送ります。「実弟誠之助がまた例の不始末をおこして面倒をかけ実に面目ない。有馬様(有馬糺右衛門=大山巌の姉・国子の夫。西郷小兵衛の未亡人松子の父)、お安様(安子)に明朝集まってもらい相談する。西郷家は沼津(の別荘)に行っていて留守なので帰京次第相談するつもりだ」という内容でした。この後、誠之助の借金を清算するために鹿児島の大山家の屋敷は処分することとなり、愛加那が亡くなった明治35年当時、菊草は東京にて大山巌の援助の下、結婚生活を続けていました。
当時既に名誉を回復した西郷隆盛の娘であり、海軍大臣の姪であり、陸軍元帥の弟に嫁いだと聞けば、傍目には「あんな南方の辺鄙な島の出身でありながら、なんと恵まれた女性」と思われたかもしれません。しかし実際には、父と言えど顔をあわせることが出来たのはわずか1年ですぐに死別、17歳で嫁いでからというもの、血の繋がった兄は鹿児島どころかほとんど国内におらず、夫は頼りにならず、幼い子供たちを抱えての孤独な生活であったと思われます。
このように書くと夫である大山誠之助が相当な悪者であるようにも感じられますが、もしも大山家・西郷家が、明治期においてこれほど優秀な人材を幾名も輩出していなければ、誠之助の人生も違ったものになっていたのかもしれません。
実兄は陸軍大将、いとこ隆盛は誰もが知る維新の傑物、その弟の従道は日清・日露戦争で連勝した海軍大将、義理の弟の菊次郎は片脚が不自由ながら外務省・台湾総督府・宜蘭庁長と、人に求められる以上の手腕を振るう並外れたエリートばかり。一方、誠之助はと言うと、西南戦争で高い理想を掲げて参戦したはずが、気がつけば時代の波に取り残され、他の兄弟縁者との差は開くばかり。
そんな孤立感が誠之助を自堕落な生活へと溺れさせていったのかもしれません。
これまでの記述で菊次郎を「偉大な父と親戚の七光でうまく出世した」と考える人もいるかもしれませんが、誠之助の存在は、むしろそのような七光は役に立たない時代であったという証明ではないかと思われます。七光でどうにかなるのであれば、誠之助がこれほど堕落の一途を辿ることはなかったでしょうし、菊次郎が反日感情渦巻く台湾へ赴任することもなかったでしょう。安全地帯である東京の官公庁で勤務が続いたはずです。
西郷菊次郎と大山誠之助。共に薩軍として戦った二人でしたが、その後の25年の歳月は、二人の人生を大きく隔てたのでした。
◯ 協力
龍郷町教育委員会 「西郷隆盛と菊次郎展」記念誌
◯ 参考文献
「西郷菊次郎と台湾 父西郷隆盛の「敬天愛人」を活かした生涯」(佐野幸夫著:文芸社)
◯ 参考ウェブサイト
「西郷隆盛の妻、および西郷家の女性たち」
※まち色編集局より
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