島一番の広さの闘牛場!
![なくさみ館 machiiro 記事写真 1](https://machi-iro.com/wp-content/uploads/2021/05/なくさみ館-machiiro-記事写真-1.jpg)
なくさみ館は伊仙町目手久にある闘牛場です。
屋根付きになっているので、雨天時でも試合が行えるようになりました。
![なくさみ館 machiiro 記事写真 7](https://machi-iro.com/wp-content/uploads/2021/05/なくさみ館-machiiro-記事写真-7.jpg)
闘牛場の裏手には牛舎があり、見学することもできます。
また、広い駐車場には観光案内所、トイレ、顔ハメ看板などがあります。 資料展示室では闘牛文化に触れることも。
![なくさみ館 machiiro 記事写真 6](https://machi-iro.com/wp-content/uploads/2021/05/なくさみ館-machiiro-記事写真-6.jpg)
![なくさみ館 machiiro 記事写真 10](https://machi-iro.com/wp-content/uploads/2021/05/なくさみ館-machiiro-記事写真-10.jpg)
![なくさみ館 machiiro 記事写真 11](https://machi-iro.com/wp-content/uploads/2021/05/なくさみ館-machiiro-記事写真-11.jpg)
![なくさみ館 machiiro 記事写真 9](https://machi-iro.com/wp-content/uploads/2021/05/なくさみ館-machiiro-記事写真-9.jpg)
お正月や成人式、卒業祝いや収穫祝いなど、おめでたいことがあると闘牛大会が開かれます。 以前は島のあちこちに小規模な会場が点在していましたが、全島一大会などで大勢の観客を収容できるよう、なくさみ館が建立されました。
なくさみとは、もともと「なぐさめる」の意味です。農業や日々の生活の辛さをなぐさめることから、古くは闘牛だけではなく島唄や魚釣りのことも「なくさみ」と呼びました。 闘牛の歴史はおよそ300年前の島唄にも残されており、古くから島の人々に愛されてきました。 現代では牛の体重によって、相撲の番付けと同じように横綱や大関などと格付けをして試合を行っています。試合の際には、「勢子(せこ)」と呼ばれる紅白の法被(はっぴ)を着た人が、独特の掛け声によって牛を奮い立たせます。
どちらかの牛が相手にお尻を見せて逃げ出した時点で、戦意喪失と見なされて試合終了となります。 闘いに勝ったら『ワイド節』という伝統の歌を歌い、牛にまたがってお祝いです。