フチムチ(ヨモギ餅)

春は光とともにやって来る。

早々と訪れる暦の変わり目、立春。寒風の中、足音を忍ばせて春はやってくる。まだまだ風は冷たいが、春のきざしを探して外に出よう。やがて、島の野山は一面緑のじゅうたんが敷かれる。その一角に植えたわけでもないのに、ヨモギが生える。陽だまりのヨモギは、元気よく小さな新芽を延ばす。

ヨモギは、方言で北大島ではフチやフツィ、南大島ではフティと呼ばれる。旧暦サンガチサンチ(三月三日)の女の子の節句に作られる餅の材料となるのがヨモギ。餅は年中行事と関わって作られてきた。その時季は、ヨモギを摘む人の姿があちこちで見られる。島の春の風物詩だ。ご先祖のお供えと家族の分、知人にあげるためヨモギ餅を作る。年中行事の楽しみの一つは、そんな思いで作られる行事食(菓子を含む)。この日は大潮、家族で重箱におかずやヨモギ餅を詰め、潮干狩り。そして、初節句の女児は、海水に足を浸け禊ぎをし、健やかな成長を願う。親の思いは、いつの時代も変わらない。浜に下りないと、クーフ(ふくろう)やカラスになるとか。家の軒や墓には、ヨモギとちょうどこの頃に咲く鉄砲百合を挿し、邪気を払う。

晴れの日、友人たちとヨモギ摘みに出かける。そして、ヨモギを洗い、ソーダーを入れて茹でる。それをスリ鉢に移し繊維を潰して、もち米粉、黒糖粉を入れて搗き混ぜ、カサ(カシャ)*①で包んで蒸すとヨモギ餅が出来上がる。




日本では、稲(米)とともに様々な植物を利用することで、多様な餅が作られ、私たちの暮らしを豊かにしてきた。例えば、オオシマザクラの葉で包んだ桜餅など植物の名が付いた餅が知られるが、奄美大島にも、特定の植物の名が付いた餅がある。フチで作ったフチムチ(ヨモギ餅)。蘇鉄のナリ(種子)の澱粉で作ったナリムチ(蘇鉄餅)。サンキラ(サツマサンキライ)の葉で包んだサンキラ餅。煮芋ともち米粉を搗き混ぜ、カシャで包んで蒸すカシャムチなどだ。餅を防腐効果もある植物の葉で包むようになったのは、そう遠い昔のことではないようだが、大正時代の奄美大島、根瀬部の暮らしを描いた惠原義盛著『奄美生活誌』には、包むカサムチ*②と、包まないフチダグ*③やフチムチ*④の両方の記述がみられる。

奄美大島の昔話に、「旅人馬」というのがある。なぜか、焼内の湯湾まで行き着いた者がいないので、勇気ある兄弟を行かせることになった。途中、飲食した宿で、弟が立ち聞きする。二人が起きる時分までにカシキを作り、餅を搗いて食べさせると馬になると、宿の夫婦が話していた。弟は、兄に伝えるが酒に酔って起きないので、一人で逃げた。数日後、弟が湯湾まで行って戻って来ると、兄は馬になっていた。物識りは、早く家に帰って糯米を洗いフチダグを作って食べさせると元の人間に戻ると教えてくれた。そこで、兄にフチダグを食べさせたら人間に戻ったそうな。

大和村の児玉モチャ媼の残したこの話は、地名や行事食のフチダグが登場し、兄弟愛や穢れを祓うヨモギの呪詛力を教えてくれる。

ヨモギ餅、作り繋いでいきたいですね。

 

*①「カサとは、広葉という意で、雨露をかざす笠から出た語であろう。芭蕉の葉、クワズイモの葉、里芋の葉など広い葉をカサンハという。餅を包むカサはサネン(月桃、または、クマタケラン)の葉である。」龍郷町での聞き取りによると、昔は在来種のアオノクマタケランで包んでいたという。
*②「八月三節に二種類のカサムチを作った。もち米粉を臼で捏ねてからカサに包んで蒸した白いものとトノキンと称する高粱の粉で同様にして作る。」
*③「ヨモギを茹でて水に浸け、アクを抜き、もち米粉と黒砂糖粉を混ぜて臼で搗き、団子に丸めて蒸す(黒緑色)。」
*④「餅を搗く際、ヨモギを少し入れて搗く(薄緑色)。これを平たく延ばし三角形に切る。白餅も三角形に切る。三角は女性を象徴するもの。」

このエッセイは、2018年3月発行のマチイロマガジン48号より転載しました。

奄美の料理愛好家。調理師。奄美郷土研究会会員。奄美の料理とその背景文化を紹介している。著書『心を伝える奄美の伝統料理』ほか。

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