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足下に見つけた麦

子どもの頃、当たり前のようにちゃぶ台にのっていたはったい粉。その大麦を煎って挽いたはったい粉とブリキ缶の黒糖を砕いた粉をお茶碗に入れる。湯を注いでかき混ぜると、甘く香ばしくて滋養の味が口いっぱい広がった。歯の裏側にくっついたそれを上手に舌で剥がすと、煎った麦の残り香が余韻となって味わえることも楽しみであった。

以前は島でも盛んに麦を作っていた。十一月に種を蒔き、四月の始め頃に収穫をする大麦。収穫後の旧暦四月の初午の日に、伝統行事「マーネアソビ」がある。新麦の収穫祭にあたるこの日は、収穫を終えた遊びの日として、浜に下りる。終日、台所などの火を使わないでいいように、夜の白む早朝から段取りし拵えた弁当を囲む。ハブ除けの日、だから、長いものに触ってはならず、ハブが好む湿気を吸収させたいと願って、家の周囲に粉状のものを撒き、はったい粉を食べる。女子はマッタブを身ごもるという伝承があり、その回避に、魔よけになる臭いの強い食用植物であるニラも食べる。という興味深い風習である。それは、奄美大島がしっとりと雨に濡れるナガシ(梅雨)の時季で、湿度はそうとう高い—。



ハブ除けに粉状のものを撒くという営みは伝播していた。本土の民俗で、蛇除けの方法として、家の周囲に麦香煎や糠、アルカリ性の灰など粉状のものを撒き、侵入を防ぐ呪(まじな)いごとを唱えるというもの。その一方、奄美大島では今も、家の周りにハブの嫌う弱アルカリ性のサンゴ礁の破片を撒く習慣が残されている。住居の外周に粉状のものを撒き、はったい粉を食するという風習とともに、粉状のものの吸湿力がハブを除けると信じられてきたのだ。ハブの活動始動期における脅威は、島に暮らす私たちにとって現実的なものであり、ハブの棲息する風土に、ハブにまつわる民俗伝承が生じ、年中行事が生まれた。

シマ(集落)を訪ね歩く。やはり先輩方は、この時期にはったい粉と黒糖の粉を混ぜ、シダラギ(ヤブニッケイ)の葉っぱを匙代わりにしてすくうのよ、と実際に食べ方も見せてくださる。身近にある植物の利用法は実用的だ。コーシン(香煎)は、麦作を中心とした市民権も得た、行事食である。島の人々はすべての収穫物をまずご先祖にお供えし、敬意を表す。当然、新麦のはったい粉もお供えする。先人の知恵である農作物の収穫時期と行事との関係にも改めて感心する。

記憶の中でのなにげない日常は、すでに過去のものなのだけれど、セピア色の写真が私の手元にあるように語られもする。こんな風な、ごくありふれた思い出は、心の奥深くにあるけれども、特に書き留めたりもしない。たいてい、よみがえる味の記憶というものはそういうものなのだ。島の暮らしに欠かせない麦のある行事の風景も、今はもう少ない。

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泉和子
奄美の料理愛好家。調理師。奄美郷土研究会会員。奄美の料理とその背景文化を紹介している。著書『心を伝える奄美の伝統料理』ほか。
泉和子

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