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本当は面白い「奄美シマッチュ伝」14

~父の遺志を実践した西郷菊次郎⑨~

 

三大事業史文献(京都市上下水道局

 明治40年(1907年)、3月の京都市議会にて三大事業の8ヵ年計画に関する基本的な承認を得た菊次郎は、今度は予算を調達するための外債発行に向け、京都と東京の大蔵省や内務省、銀行を往復し始めます。既に外債発行にて公共事業を手がけた地方自治体はありましたが、この時は日露戦争直後。勝利したものの賠償金もなく、どこの地域にも負傷して帰還して職にあぶれた兵士があふれていました。
更にアメリカの取り付け騒ぎを始めとした世界的な不況が発生。この影響で外債を発行しても買い手がつかない事が予想され外債発行の折衝は一時中断。内債の募集を行ってはみたものの国内の不景気風もまだまだ強く、この話に乗ってきたのは三井銀行だけでした。

資金調達がなかなか進まぬ内に翌年の2月に市営電気軌道の敷設許可が下り、続いて上水道敷設の認可も下ります。同時に国庫補助金が75万円交付されたため、この資金をもとに同年10月5日、琵琶湖第二疎水の起工式を迎えました。

実際の事業が動きだすとなると、今までのように資金調達に自身が動くことが難しくなります。菊次郎は年末を前に、郷里の鹿児島から大野盛郁を京都市助役として招きました。大野は帝大法科を卒業した後、大阪の浪速銀行を経て島津家の財務部長を務めており、法律にも金融にも長けた人物。
国内の景気はいまだ芳しくありませんでしたが、海外の景気浮揚をいち早く察した菊次郎は大野を外債募集担当とします。明治42年(1909年)、大野は2年の遅れを取り戻すかのように素早く動き出して三井銀行との交渉を重ね、三井物産ロンドン支店長の渡辺専次郎を通じてパリの銀行と交渉を開始。さらにパリの金融業者の仲介により、フランス政府及び銀行シンジケートと具体的な折衝に至りました。

資金調達も順調に進み、5月に上水道建設工事に着工。ようやく順調に進み始めたかのように思えた三大事業ですが、思わぬ障害にぶつかります。電気軌道路線に問題があるとして、京都府知事大森鐘一がなかなか申請書に許可を出してくれません。




大森府知事はこの時期、京都市以外の農村振興や戦地からの帰還兵対策に力を入れている人物でしたが元は内務省の役人であり、幕臣の家系の出。かたや菊次郎や大野は倒幕を成した薩摩、それも西郷の息子。ここは推測ですが大森府知事からすると「西郷の息子までが京都を担保にして大博打を打とうとしている」ように見えたのかもしれません。外務省時代にアメリカで金融の力を見てきた菊次郎と、三井物産のサポートを受けながら欧州で他の政府や銀行と渡り合う大野がどれだけ投資の可能性について語った所で、俄然不況が長引き、貧困にあえぐ府民を目の当たりにしている大森には幾ら将来性を述べても通じなかったのかもしれません。これは現代でも同じです。リーマンショックから1年しか経過していない状況で、投資を行った事がない人に勧めたところで実行できる人がどれだけいた事でしょう。

ともあれ市営電気軌道事業は道路拡築事業の財源であり、この電気使用料や市電乗車料金は後々、外債の返済資金に充当する予定です。この事については初期の京都市議会の答弁でも菊次郎ははっきりと打ち出しています。
「…基本財産が豊富でなければ自治は到底望めないし、都会としては基本財産がなければ自治が発達しない。幸いにして第二疎水、上水、道路拡築と電鉄の成功する時は莫大な基本財源を得る事が出来るし、これが京都市の唯一の財源である。今こそがこの財産を作る機会である」
また助役である大野も「元々道路拡築は市民のための利益度外視の公共事業であり直接の損得勘定で言うならば利益は計上出来ない。だからこそもう一方で、電気鉄道を敷設して利益を生み出そうと設計されている」
と補足説明しています。この電気軌道敷設が遅くなれば当然外債の返済が滞るのです。
上水道工事が進み、どんどん予算を消化していく中でなかなか進まぬ電気敷設事業をどうしたら良いものかと悩み続ける菊次郎を病魔が襲いました。
明治44年(1911年)4月25日、菊次郎は結核を患い吐血します。医師から転地療養を勧められた菊次郎は、自分が今の地位にいる限り大森府知事は決して申請書を承認しないであろうと考え、京都市長を辞任する決意を固めます。大野に話したところ、大野も助役を退任したいと言いましたが、菊次郎はいまだ三大事業が工事中であること、実際の外債に対する返済が開始していない事などから、大野にはそのまま助役としての残留を依頼します。
明治44年5月23日、菊次郎は大野に辞任届を提出。
この後すぐに始まった電気軌道敷設工事から三大事業全ての完成までを菊次郎のかわりに助役として見届けた大野は、のちに第5代京都市長に就任。市電より先に営業を開始していた京電を吸収合併し、返済をスピードアップさせます。
菊次郎が推進した水道・水力発電・市電での交通網整備により、工業力を順調に伸ばしていった京都市は予定よりも9年前倒しで返済を終え、近代化の道を進んでいくのでした。

(続く)

参考文献

「西郷菊次郎と台湾 父西郷隆盛の「敬天愛人」を活かした生涯」(佐野幸夫著:文芸社)

参考論文

明治期における京都市営電気軌道事業の創設目的」(斎藤尚久)

参考HP

京都経済同友会 京都・近代化の軌跡 第21回 近代京都の都市基盤を築いた「三大事業」(その3)
知ってるようで知らない京都の史実 №6 琵琶湖疎水工事は何故始まったのか?その2

近況

今まで食べる方専門だったのですが、友人に誘われてカシャムチ作りを習う事に。昔から手を汚しまくって食べてますが、カシャムチを汚さずに食べられる達人っているんでしょうか…。

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南 琴乃

南 琴乃

日照りだろうと台風が来ようとハイビスカスのようにしぶとく生きたい40代。奄美市在住。

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