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本当は面白い「奄美シマッチュ伝」7

~父の遺志を実践した西郷菊次郎④~


第4代台湾総督・児玉源太郎と民政局長・後藤新平

明治30年5月、菊次郎は総督府参事官から台北県支庁長を経て、宜蘭庁長へと異動になりました。こう書くと順調に出世しているようにも思われますが、当時の宜蘭では反日活動を繰り広げる土匪の蛮行が続いており、相変わらず政情不安のままでした。宜蘭の東側は海に面していますがその他北部・西部・南部は全て山岳地帯の宜蘭は土匪の格好の隠れ家であり、多いときには数百名で市街地にて暴れまわった後に追手がかかる前に山間部に分散して逃亡、住民も土匪の報復を恐れてなかなか情報を提供しません。

また第3代総督の乃木希典は優秀な武人ではありましたが「三段警備」という土匪対策を失敗させてしまいます。
これは台湾全島を「一等地…治安がよくない土匪がよく出没する地域。憲兵隊が治安活動を実施」「二等地…比較的治安が良い山岳部と平野部。憲兵隊・警察の共同治安活動実施」「三等地…治安が良い。警察が治安活動実施」という3つの区画に分け、それぞれに適した治安維持活動を行うというものでしたが、結局のところ土匪が一等地と二等地の双方に同時に出現した際など、憲兵と警察での連携が上手く行かず、むしろ競合する原因となってしまいました。

更に「国籍選択」が台湾住民の経済活動に打撃を与えます。近代化のために総督府は各種商工業に「台湾鉱業規則」という認可制度を設けましたが、この認可制度では鉱業を経営・従事する者は日本国籍を有するもの限定となっていました。そのため職を失った台湾人はおよそ7千人。これでは日本人に対する反感は強まる一方でした。

しかし菊次郎が宜蘭庁長に就任した9ヶ月後の明治31年(1898年)、大きな転換点が訪れます。総督が交代し第4代の児玉源太郎、民政局長(後に民政長官に改称)に後藤新平が着任することになりました。
児玉源太郎は長州藩の中級武家に生まれ、5歳で父が死去。姉婿が家督を継ぎましたがこの義兄は源太郎が13歳の時に佐幕派の襲撃により惨殺され、困窮した少年期を送りました。
後藤新平は仙台藩の武家の長男として生まれました。蘭学者高野長英は遠縁にあたり、もともと頭脳明晰であった新平は医師としての道を歩きましたが、本人は政治家になりたいという考えを持っていました。そして後藤が明治28年(1895年)の日清戦争帰還兵への検疫業務に従事した際に、その手腕の巧みさが児玉の目に止まります。
台湾の不安定な状況を日本の統治領として、どう改善すべきか。児玉に対して後藤が出した回答は、
「ヒラメの目をタイの目にすることは出来ない」という比喩です。
それは生物学の原則に則り「生物は慣習の中に生きている」「社会習慣・制度というものは、生物と同様で相応の理由と必要性から発生したものであり、無理に変更すれば当然大きな反発を招く。よって現地を知悉し、状況に合わせた施政をおこなっていくべきである」という後藤の持論でした。

西欧や清の支配のように力で無学の民を抑えつけるのではなく、あくまで現地の文化や風習を尊重し、その上で人材育成やインフラ整備、産業の近代化を行っていく。これが統治終了後も、現在まで台湾にて親日感情を維持させるほどの影響を持ち合わせた「同化政策」と呼ばれるものです。

台湾統治開始前後に南部を視察して叔父の従道に対し、「台湾治政の肝要点は、先ず民心の収攬にあり、その為には常に住民の立場から治政を考えることは忘れるべからざる最重要事なり。決して一方的に日本人の考えを押しつけるべからず」と報告していた菊次郎にとっては、児玉と後藤の同化政策は絶好の機会です。
菊次郎の具体的な行政改革は次のように行われました。まず総督府時代から携わっていた国語伝習所などの日本語初等教育を充実させて意思疎通を図れるようにしました。次に、田畑への課税を台湾人・日本人入植者に関わらず均等化することで差別感を減らし、農民の労働意欲を高めます。その次には樟脳産業の改善です。元々清の時代から樟脳の生産は細々と行われていましたが、改良を行い生産拡大。同時期に、後藤新平がスカウトした新渡戸稲造がサツマイモやサトウキビの改良を行っていたこともあり、農産物収穫量は大幅に拡大していきます。それに伴い輸送量が増えたので道路や港湾などの輸送インフラを整備。ある程度の改革が進んだ明治33年(1900年)、宜蘭庁長に就任してから3年目の菊次郎は、それまで台風の度に川が氾濫し濁流が田畑や家を押し流していた宜蘭川に堤防をつくることになります。

この堤防工事の手法こそが、やがて父・隆盛以上に西郷菊次郎の名を台湾史に刻むことになるのでした。

(続く)

参考文献

「西郷菊次郎と台湾 父西郷隆盛の「敬天愛人」を活かした生涯」(佐野幸夫著:文芸社)

近況

昨年のミカンコミバエの騒動から一年、今年のタンカンは台風が少なかったせいか豊作。おかげで、いっぱい食べられる分お腹周りも豊かになりつつあるような…。

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新 志磨子

新 志磨子(あらた しまこ) 日照りだろうと台風が来ようとハイビスカスのようにしぶとく生きたい40代。奄美市在住。
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