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本当は面白い「奄美シマッチュ伝」1

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はじめに

「奄美群島出身の偉人(現在生存中の方を除く)を5人挙げてください」

5つ名前が出て来ましたか?
なぜこんな質問をしたかというと、以前から私は「奄美の歴史がほとんど島民にも知られていない」と考えているからです。
シマにいると誰でも耳にする世界自然遺産登録に向けての動きですが、数年前に環境庁の方にこんな話を聞いた事がありました。
「観光のメリットを受けるためには、『自然』だけでは無理があります。今や海外の景勝地も一生に一度行けるか行けないかという遠い場所ではなくなりました。自然遺産プラスそこから育まれた『歴史』や『文化』の魅力もあればアピールポイントも多いのでそれだけ多くの方の関心を得ることが出来ます」
衝撃を感じました。
自然の景観の良さは説明出来る。
文化も、島唄や大島紬や黒糖焼酎など、ざっと言える。

でも、歴史は?「大和世」「那覇世」「薩摩世」「アメリカ世」という時代区分は知っていても、これまで奄美の成り立ちに関わってきた人達について、私はなーんにも知らなければ、関心をほとんど持っていないことに気がついたからです。
かろうじて「砂糖自由化運動」や「日本復帰運動」について大雑把に把握していても、「どんな人が、どのように関わっていたか」を知りません。
大島紬の素晴らしさを実感していても、その改良に尽力した人の名前や物語を知らない。人物伝を全く知らない。次の世代に伝えることが出来ない。なんて勿体ないことをしているのか、と愕然としました。

なぜ「人物伝」が大切なのか

どうして「人物伝」にこだわるのか、不思議に思う方も多いことでしょう。ここで一つの例を挙げます。
明治時代、現在の静岡県に佐吉という一人の少年がいました。佐吉は小学校を卒業したのち、13才で父親の大工仕事の見習いを始めます。ある日、父親が隣村の小学校の建設に携わることになり、佐吉も父親の手伝いをするために同行するようになりました。
そのうち昼休みになると佐吉はある教室から聞こえる教師の話に耳を傾けるようになりました。その教室からは『西国立志編』(サミュエル・スマイルズ著。現題名『自助論』)に登場する、アメリカやヨーロッパの人物伝が聞こえました。決して豊かではない生い立ちから自力で勉強・研究して、世のため人のために尽くした人々の話に、佐吉少年は引き込まれました。
やがて大人になった佐吉は、親に泣いて反対され、村中の人たちに馬鹿にされながらも自分の夢を信じ続け、研究を重ね、日本初の自動織機を発明します。
そしてその佐吉の奮闘する背中を見て育った息子喜一郎もまた、夢を追いかけて異なる会社をつくりました。
それが現在の「トヨタ自動車」です。歴史に「もしも」はありませんが、佐吉少年が教室から聞こえる伝記に興味を持たなかったら、わが国の誇る世界最大手の自動車メーカーは存在しなかったかもしれません。

このように過去の人物伝は、今を生きる私達の心もワクワクさせるものです。ましてそれが自分の住まう地域出身の人物であれば、生まれ育った故郷をよりいっそう誇りに思うことが出来ます。都会に移り住んだとしても「お父さん・お母さんが生まれた島にはこういう人達がいたんだよ」と、奄美に対する郷土愛を受け継いでいくことが出来ます。
私自身、歴史学者でもなければプロの文筆家でもありませんが、これをお読みくださる皆さんがもっともっと奄美に愛着を感じて頂けるよう、奄美に関連する人物伝をご紹介させていただきたいと思います。

 

筆者近況

幼少期、大人になったら甘いものとかマンガ・アニメとか関心なくなると信じていたのに全くそんな事もなく、奄美にオープンした某大手コンビニで「おそ松さんグミ」を当然のように6種類全て買ってきました。大人で良かった。

 

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新 志磨子

新 志磨子(あらた しまこ) 日照りだろうと台風が来ようとハイビスカスのようにしぶとく生きたい40代。奄美市在住。

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