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ささえる人の歌 ~まちの豆腐屋さん編~

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僕は少々偏った朝型人間だ。毎朝五時半には起きて、アイロンがけからゴミ出し身支度と動き回り、子供たちを送り出した後は運動したり歌ったりとせわしない。社会と関わる前に自分なりに為すべきこと、したいことをほぼ全て終わらせてしまっているような感じだ(こうして書くと「ご隠居」なのか?と思えてきた)。朝の中心にあるのは、家族で囲む朝食だ。充実した朝げをとると、自然に感謝の気持ちが湧いてくる。街のどこかで誰かが毎日積み重ねた仕事が、回り回ってみんなの笑顔を作ってくれる。そんな訳で、朝の食卓を「ささえる人」に会ってみたい、と無性に思った。
いざ探訪−

 

豆腐屋さん

奄美探訪 まちの豆腐屋さん 大豆写真

街の小さな豆腐屋さん・藤野豆腐店の一日は、真夜中に始まる。店内は、地下から汲み上げた清水がコンコンと湧き上がっている。日付が変わる前、まず原料となる大豆を洗い、水に浸す。

十分に浸かったらザルで水を切り、粉砕機にかける。続いて圧力釜で加熱すると、一気に店内に蒸気が充満する。これが夜通し続くのか−。夏場になると3回は着替えるという藤野さん。作業中の水分補給は欠かせないそうだ。

煮汁を絞ると、濃厚な乳白色の豆乳が流れ出す。こした後、ろ過布に残ったものが「おから」だ。出来たては、食卓に上る調理されたものよりずっと白くて、食欲をそそる。

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豆乳に、正確に計量した凝固剤いわゆる「にがり(塩化マグネシウム)」を入れ、撹拌する。固まり具合を見極めながら成型した後、揚げ豆腐など加工用は空気にさらして水分を飛ばし、絹ごし豆腐と木綿豆腐は水槽で冷やされる。言葉にすれば簡単だが、全ては手作業。かなりの重労働のはずだが、淀みなく全く無駄のない動きで、淡々と工程が進められていく。

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奄美大島本島内の豆腐屋はわずか四店。藤野さんの所にも、笠利や瀬戸内から創業を志して過去何人もが弟子入りしてきたが、長くは続かなかった。この仕事の大変なところとして藤野さんが挙げられるのは、一にも二にも昼夜逆転の生活に合わせた身体作りだ。人間が本来身体を休めるべき時間帯は作業し、午前中に配送の段取りと雑事を済ませ、午後睡眠を取る。自覚しないままに体重が大きく増減することもあり、一定の体調を保つのは非常に難しいそうだ。

逆に、仕事として一番の喜びは何ですかとうかがうと「それは出来上がりの時よ」と笑顔。毎日の注文に合わせ、原料と時間を逆算して工程を組み立て、きっちり配送の時間前に完成をみる。やり直しはきかないだけに、型から出した純白の豆腐が水槽に泳ぎだす瞬間は、得も言われぬ達成感に包まれる。

藤野豆腐が夜中に消灯するのは土曜日だけ。「作り置きしておけないんですか?」という愚かな問いに「生ものだからねぇ」と柔らかく笑う藤野さんの顔は、職人の誇りで輝いていた。

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スーパーフード

小麦、米、トウモロコシに大豆を加えて「世界四大穀物」と称する。大豆は、肉に匹敵するたんぱく質を含有し「畑の肉」と呼ばれてきたが、イソフラボン・レシチン・オリゴ糖・サポニンなど豊富な栄養素に恵まれることから、最近では「スーパーフード」とも呼ばれる。

しかし、世界中で大豆を主食とする地域は殆どない。固く、青臭ささや苦みを含むため、日常的に食べ続けるのは無理があるのだ。その点、日本人は、大豆を巧みに加工・調理して味噌、醤油をはじめ納豆、もやし、煮豆と、和食において不足がちな栄養分を補ってきた。その中でも、最も洗練された形が「豆腐」だろう。

ところで読者の皆さんは、「絹ごし豆腐」と「木綿豆腐」との違いをご存じだろうか。多くの方が、豆乳をこす布にそれぞれ絹と木綿を使っていると誤解されているのでは?実は、一旦固めた豆乳を型に入れて崩し、圧をかけて固め直すのが木綿豆腐。より濃い豆乳を、圧をかけずに固めるのを絹ごし豆腐という。製造工程も違うのだが、命名は食感からの由来ということになる。

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作業の様子を見ていると、木綿豆腐にはかなり手間がかかり、絹ごし豆腐の方が高いというのが素人目には納得いかない。使用するにがりも違うということで原料費が価格に反映された結果であり、職人の手間は乗せていないということなのだろう。

木綿豆腐は圧縮しているので味が濃く、タンパク質やカルシウムが多く含まれており、型崩れしにくいこともあって調理用に向いている。一方、絹ごし豆腐は水分を絞らないのでビタミンやカリウムが豊富で、冷奴やサラダなど滑らかな食感を楽しむメニューに合う。一長一短あり、後は用途とお好みとなる。この他、豆乳・寄せ豆腐・湯葉・こうや豆腐・厚揚げ・がんもどき・おから等々、豆腐関連のバリエーションは驚くばかりだ。

 

代替食品

実は現在、スーパーの豆腐コーナーの大部分を「充てん豆腐」が占めていることをご存じだろうか?充てん豆腐とは、型に入れてカットする手間を省き、いきなり容器に豆乳と凝固剤を充てんし、加熱して固めるものだ。

充てん豆腐は、容器内に水や空気を殆ど含まないため、保存期間が長く取れ配送もしやすいので、大幅にコストを落とすことができる。オートメーション化された本土の工場で生産される充てん豆腐は、濃度の薄い豆乳を使うことも可能で、低価格とライトな味わいが支持された結果が売場の現状ということだろう。街の豆腐屋さんが激減してしまった大きな要因の一つが、充てん豆腐の登場であることは疑いない。

日頃、我が家の食卓に充てん豆腐が上ることはないのだが、食わず嫌いはフェアではないと家族で両者を食べ比べてみた。結果を出すには一口で十分だった。充てん豆腐は「豆乳ゼリー」であり、一種の「代替食品」というのが率直な感想だ。

僕はカップヌードルも好きだし、無添加・無農薬にこだわるような潔癖な人間ではない。一部の食品についてネガティブキャンペーンを張る意志も資格もない。ただ僕は一人の消費者として、これからも豆腐を食べたい時は地元の豆腐を食べ続ける。

これからも豆腐コーナーの主役は、充てん豆腐が張っていくだろう。充てん豆腐の味わいの方が好みという方も多いだろうし、向いているレシピもあると思う。精進料理という分野もあり、昨今はアレルギー対策として代替食品が果たす役割も大きい。

しかしながら、食は未来につながる問題だ。知らない内にこの味に慣らされ、これが豆腐だと次の世代に伝えていくのは哀しい。鯛と称するテラピアの握りをほおばり、ビールテイスト飲料を流し込む生活にも僕らはすっかり馴染んでしまった。

バターの代替食品であるマーガリンは植物性で健康的と聞かされてきたのに、今ではトランス脂肪酸を含む云々と悪者扱い。代役は代役。素性も知らぬ輩が懐に入り込んで、後で怖いことにならないとも限らない例か。僕らは、何でも上手に取り入れるのが日本文化の懐と聞いて育ってきたのだが。

 

ウチナー豆腐

豆腐は中国発祥の食品と言われている。唐代中期というから約千三百年前、くしくも大島紬と同じくらいの歴史をもつことになる。

沖縄の豆腐は、国内の一般的な豆腐とは趣が異なる。大和の豆腐よりも、明らかに固く若干塩気が多い。製法上も、大和風の豆腐が過熱した大豆のしぼり汁をこすのに対し、沖縄では生絞りでにがりも違うと聞く。

実は、ルーツである中国の豆腐は、沖縄のものとよく似ている。料理として考えれば、麻婆豆腐やチャンプルーなど、主に加熱して使う両地の豆腐が固く崩れにくいように作られ、冷奴や味噌汁などで使われる大和風の豆腐が柔らかく滑らかに作られるのは当然だろう。

先日、大手の油メーカーの広報担当者が、奄美と沖縄との食文化の違いについて話していたことを思い出す。古来より中国との交流が盛んだった沖縄は「炒める」食文化だが、奄美は「和える」文化なのだと。例えば、「炒める」ソーメンチャンプルーと出汁を「和える」油ぞうめんとは、似ているようで調理上大きく違うのだと。

もちろん沖縄には、おぼろ豆腐や豆腐ようといった種類もあり、豚肉や魚介類などを生かした料理全般は奄美の島料理のルーツとも呼ぶべき存在であり、炒めるばかりの浅薄な食文化である訳はない。

奈良時代、仏教文化と共に中国より日本に伝えられた豆腐は、ようやく江戸時代に入って庶民の味となった。和食には欠かせない存在となる過程で、豆腐は現在の柔らかく滋味深い味わいへと進化していったものと思われる。大和文化と琉球文化がぶつかり合う「潮目」に位置する奄美では、こと豆腐に関しては、北回りで伝わった大和風の豆腐が主役である。

個人的に懐かしいのは「ピーナツ豆腐」だ。沖縄では「ジーマミー豆腐」として広く流通するそれは、奄美では家庭のおやつとして楽しまれる程度かと思う。夏場、風が通る紬工場で、婆ちゃんの友だちが作ってくれたよく冷えたピーナツ豆腐を食べた。ムチッとした独特の食感と濃厚な風味を思い出す。豆腐を通じて、沖縄への親しみと距離を感じる。

 

島の宝

豆腐の実に九十%は水分だ。実際、水を食べているようなもので、豆腐が美味しいということは使っている水が美味しいということになる。

奄美探訪 まちの豆腐屋さん写真

洋上の森と言われる奄美大島の大地は、全国でも有数(第四十八位)の降水量を誇る慈雨を浄化し、しっかりと蓄えている。特に複数の河川の河口域に広がる名瀬の街は、ある程度掘削すれば何処でも清水が湧くと言われる。

島外から転入された方が、名瀬での生活でまず驚かれるのは水道水の美味しさとも聞く。寄港する船舶が何をおいても水を求めることを、市役所の水道課は秘かに誇りとしている。名瀬の街で昔からの製法を守る黒糖焼酎の蔵もミネラルウォーターを製造する某社も、奄美市が供給する水道水を原料として使っている。

浄水場を更に高度な設備に更新中という当局の尽力もさることながら、名瀬の水道水が美味しいのは元々の水が美味しいからに違いない。名瀬の豆腐が美味しいのは至極当然のことなのだ。

藤野さんをはじめ名瀬で豆腐屋を営まれた方の多くは、喜界島のご出身だ。喜界の方の、決して広くはない土地を有効に使う勤勉な気質はよく知られている。今でも、国内最大の産地である白ゴマや花良治みかんなどの農作物が知られているが、大豆も盛んに生産されていたことから、奄美群島の日本復帰を契機に大勢の喜界出身者が名瀬で豆腐屋を開業した。

地元の人間はよく知っていることだが、精肉店は畜産が盛んな徳之島出身者、鮮魚店は漁業が盛んな沖縄出身者などと、名瀬で開業されている店の経営者は出身地ではっきりと分かれている。地元の食文化を一つの武器として、各地の出身者が名瀬の街でそれぞれ足場を固めることで構成されてきた、なぜまちの姿が浮かんでくる。

本場奄美大島紬には作家がいないと言われる。あまりに高度に進化した技術を結集するため分業化が進み、他の工芸品のように作家一人で生産を完結できず人間国宝として認定された方もいない。各工程で相当の技術者が存在するということでもあり、産地は逆にそのことを誇りとする。

比較が難しいのだが、やはり奄美は手熟(てじゅく)のある方が多いと思う。大げさに言うと島民総技術者状態であるため、熟練技術者に対する敬意が十分ではない気がする。一般に最も知られた紬技術者が、この分野に限ってはベテランとも言えなかったはずの田中一村というのは少々皮肉だ。

島の宝は数多眠っている。最高の素材と技術が評価されず、地元ですらマスプロダクションの波に呑まれている。グルメ番組が豆腐を扱っていた。テレビ映えするシチュエーション、非日常的な寄せ豆腐のたたずまい。「トロトロで柔らか〜い」のコメント。思わず「そりゃそうだろ!」と突っ込んでしまう。型入れ前の緩い状態なのだから、大豆の味わいも薄いはずだ。

なぜまちの豆腐は決して派手さはないが、美味しい水で作られた至極まっとうな一品だ。実力的には、世界自然遺産の島が育んだ名水から生まれた豆腐として、今後十分なプレミアム感をもって売り出すことも可能と思う。一方、誰かを祭り上げてプロデュースすることによって、島の宝を切り売りして欲しくないという感情も働く。ただ、地元の人間は、自分たちの宝に気づいていたい。

 

豆腐職人の作業は予想以上に過酷なものだったが、存外に孤独なものではないと知った。藤野さんの作業場には音楽など流れていない。機械の具合など作業の進行に集中しながら、街の呼吸に耳を澄ませる。鼻歌混じりに千鳥足で屋仁川から帰る酔客。年々少なくなった車両の通行音。鳥のさえずり。季節や時代の移ろいを感じながら、藤野さんの豆腐作りは続く。

amami-tanbo-39-16朝と共に、仕入れ業者が入れ替わり立ち代わりで車を寄せ、近所から豆腐や豆乳を求める客が集まる。おからばかり持っていく常連客に「たまには旦那に肉でも食べさせらんば」と声をかける。結局、幸せな人生を送るために、他人の役に立ち感謝される実感以上に必要なものがあるのだろうか。

僕は小学校に上がると、メジロの世話を任された。朝起きるとまず籠を水洗いし、すり餌の準備をする。続いて朝食で使う豆腐を求めて、近くの商店まで鍋を下げて歩いた。当時の豆腐はパック入りではなく、水をたたえた一斗缶から受け取った。家業も朝の早い仕事だったのでつらいと思うことはなく、家族の一員として働く喜びの方が大きかった。朝はいつでも凛と冷えた水と空気に包まれていた。

今回の取材をきっかけに、時間に余裕がある朝は藤野豆腐に通っている。昔よりは身体が大きくなったのと健康が気になる年頃なので、豆乳やおからも大人買いしている。看板ものれんもない街の豆腐屋から、僕はまた何かを取り戻せるような気がしている。

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これはボックスのタイトルです。

Profile

歩きすと

奄美探訪 歩きすとプロフ写真とうだひでひと 1967年、鹿児島県名瀬市(現、奄美市)生まれ。筑波大学卒。第2学群比較文化学類にて宗教学専攻。卒業論文は『奄美のユタ神のコスモロジー』。研究継続を志して帰郷した後は、在野としてアカデミックな枠を超えた奄美研究に没頭し、その一環として奄美探訪を書き綴っている。大学在学中には男声合唱団メンネルコールに所属し、パートリーダー兼ソリストを務める。音楽嗜好はクラシック系歌曲からハードロックまで全般。最近は、地域活性化バンド「濱田洋一郎と商工水産ズ」の一員として「音楽のまちづくり」活動に取組んでいる。
また、25歳から始めた相撲競技では、職域相撲での優勝経験。県民体育大会での監督経験、全日本実業団及び西日本実業団への出場など、スポーツマンの一面も。奄美市職員。

この記事は平成27年8月発行のマチイロマガジン39号より転載しました。
掲載している情報は全て取材当時のものとなります。

 

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マチイロ編集局

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