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奄美相撲新時代

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島に帰ってから相撲を始めた。高校時代から島を離れた僕にとって、島人になる入口が相撲だった。当時話題になった映画『シコふんじゃった』を地で行くとも言われた。
何だかんだで四十の年まで取り続けた。一人前に怪我もしたし、耳も腫らしたが、その何倍ものご褒美をいただいた。ただ「感謝」しかない。
少子高齢化の昨今、競技人口の減少はスポーツ全般に言えることだが、奄美相撲の「今」が気がかりだ。
いざ探訪−

 

ちびっ子相撲

奄美探訪35-相撲 ©まちいろ

奄美市スポーツ少年団交歓大会・相撲競技の放送係を務めた。会場は住用体験交流館。通常はバレーボールなどが行われているフロアーは、今朝に限っては移動式の土俵が主役を張っている。多少早めに家を出たつもりだったが、稽古場は四股・すり足に汗を流す少年たちの熱気であふれていた。

相撲競技は、団体戦から個人戦へと進められていく。まずは低学年の団体戦から。先鋒・中堅・大将を、それぞれ1年生・2年生・3年生がつとめる。奄美市という最小単位の大会だが、笠利・住用・旧三方といった相撲どころの看板を背負って、ちびっ子力士が熱戦を繰り広げる様は中々の迫力だ。

子供だからと侮ってはいけない。相撲の稽古は、基本の型と動作を身体に覚え込ませる単調かつ過酷なものだ。雑巾を絞るように全身の力を出し切る、そのつらさは体験した者にしか分からない。会場に集まった選手たちは、そのハードな稽古を日々積み重ねているのだ。

奄美探訪35-相撲 ©まちいろ仕切りの瞬間は妙に静かだ。澄んだ瞳と瞳が、わずか70cmの仕切り線の間で正対する。小よく大を制する取り組み、土俵際の逆転、見事な投げ技は観客を大いに沸かせる。一方、基本に忠実な取り組みは無駄がなく美しくすらある。知らず知らずのうちに引き込まれていく。

個人戦に入り、未就学児の部から上級生へと取り組みが進んでいく。達者な取り口に舌を巻いたかと思えば、べそをかいて不戦敗を告げられる子も現れて、放送席にいても思わず破顔してしまう。幼い子供の相撲ほど可愛いものはそうはない。僕が大人になって知った楽しみの一つだ。

奄美探訪35-相撲 ©まちいろ

上級生の取り組みは、息を飲む熱戦の連続だ。物言いがつくことも珍しくない。子供たちも保護者も指導者も真剣ならば、審判団も真剣だ。多くが高校・大学相撲部出身で、日本のトップクラスを知る往年(一部現役)の名選手たちだ。熱い伝統は引き継がれていく。




 

相撲どころ奄美

奄美探訪35-相撲 ©まちいろ

奄美を初めて訪れて、土俵の数に驚く方は多い。学校、集会所、公民館と、奄美の人は何時でも何処でも相撲を取るのだと思うやも知れない。

事実、奄美は全国有数の相撲どころだ。大島地区として参加している鹿児島県民体育大会・相撲競技は、現在十六連覇中。しかも、就職関係他の特殊事情による2位を一年挟んで、十九連覇していたのだから、県内におけるその圧倒的な実力が分かる。

全国大会に行けば、「奄美」と名乗るだけで「こいつ小柄だが曲者だな」と周囲の顔色が変わる。アマチュア横綱に二度輝いた禧久昭広氏を筆頭に、全日本タイトル獲得者多数。

徳之島出身の第四十六代横綱・朝潮太郎から現在に至るまで、千代皇関・里山関はじめ大相撲での活躍も目覚ましく、七月場所では若乃島が龍郷町初の関取昇進という嬉しいニュースをもたらしてくれた。

「大ちゃん」の愛称でおなじみの高砂親方を育てた元近畿大学相撲部監督・故祷厚巳氏を頂点に、全国の高校・大学強豪校で選手や指導者として活躍する者も多い。結果、全国規模の相撲大会会場では、島口が公用語の一つになっている。というのは嘘のような本当の話だ。

 

 

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