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古見(クミ)

画像奄美探訪ロゴ
かの地を「古見(コミ)」と呼ぶ。
元の音は「クミ(久米)」。豊かな米どころであったことを知る人も今は少ない。
梅雨の晴れ間をぬって
いざ探訪ー

 

パッション

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甘く透明な滴をたたえた蕾のひとつがゆっくりと開き始めると、しなやかに巻きひげがうごめき、鮮やかな紫と白の花弁が見る間に放射状に広がっていきました。最後に、おしべがクルッと反転して一つ目の花が開ききるまで数分。気がつけば、およそ一反のハウス内に千余りの時計花が開花しました。

長年、本場奄美大島紬の製造・販売に携わってこられた恵秀樹さんは、新規就農して2年目。市の農業研修を受けた後、通称「奄振ハウス」を借用し、日々創意工夫してパッション栽培に取り組んでいます。四月から六月まで一日も休むことのできない受粉作業が続き、受粉の七十日後には収穫が始まります。

20100519-23パッションだけに情熱的に取り組んでいらっしゃいますねと軽口を叩くと、「パッション」とは「受難」を意味するのだと笑って教えて下さいました。時計の文字盤に似た様子から「時計花」とも呼ばれますが、欧米では、十字架のキリストに後光が差す様に例えられる聖なる植物なのです。

生業として真剣に取り組みつつも、農の世界の一つひとつに心を動かし、常に歓びをもって作業に没頭する恵さん。彼のように経験豊富な異業種からの人材が、これからの奄美の農(産)業の可能性を拓くのではないでしょうか。

先日も女性観光グループが受粉作業を体験し、自然観察などを案内した後、紬にも深く興味を持ってショッピングしていったのだとか。紬業者の恵さんが、あえて経験のない農業の世界に飛び込んだのは、「紬(特産品) 自然 農 文化」をリンクさせトータルで奄美を体験してもらおう、売り出していこうという大きな狙いがあるからなのです。ここ数年の間にも、島外の方が奄美に求めるものは随分変わってきましたし、そこを敏感に感じ取れる島ンチュは既に動き始めています。時代は変わり始めている。そう感じました。

 

泥染公園

泥染公園

伊津部勝に泥染め体験ができる泥田公園があることをご存知ですか?

伝統工芸士の野崎松夫さんが、テーチ木(車輪梅)染めを見せて下さいました。爪先まで染まった職人の、力強くも流麗な腕(かいな)さばきにしばし見とれます。大島紬の現状は厳しさが増す一方ですが、島の隅々まで生きる糧を行き渡らせた、かつての基幹産業の功績は実に大きい。

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小宿小学校4年生70名の体験学習の様子を取材することができました。あらかじめ野崎さんが学校を訪れ、下準備までさせています。さて、静かな集落に賑やかな一行が現れました。

まずはテーチ木染めから。独特の匂いを放つ染汁に顔をしかめる子供たち。君達には悪いが、とても微笑ましい。染めてはすすぐこと21回。泥田に移動し、各班に職人さんが付いて、泥染めとすすぎを繰り返します。テーチ木のタンニンと泥の鉄分が結合して染め上がるというのですが、この段階ではまだ想像がつかない状態。昼食をはさんで同じ工程を繰り返すのですが、さすがに子供たちの表情も疲労が隠せないところ。

やがて歓喜の時が訪れます。もどかしげに縛り糸をほどくと、生徒一人ひとりがデザインしたオリジナルTシャツが仕上がっています!どれをとっても独創的でチャーミング。奄美の自然が育んだ奇跡と受け継がれるDNAよ!見てくれと群がる子供たちに、目を細めて「上等上等」と声をかける野崎さん。準備に骨を折っても、ふざけ騒ぐ児童に声を荒げることはあっても、このひと時が全てに報いるのでしょう。

竹林が囲む泥田にはパーゴラが浮かぶ中々おつな風情。まずは、ちょっと休憩がてらに見学していただきたい。

匠の技よ絶えることなかれ。

 

AIMC

20100519-80

目の前に太平洋が広がる素晴らしい環境のキャンパスが、平成7年開学して以来、奄美看護福祉専門学校が果たしてきた地域への貢献は、容易に語りつくせないほど大きなものです。僕もそうですが、読者の皆さんの周りにも多くの奄専出身者がいて、欠くことのできない社会の一員として活躍していることでしょう。

今回の取材を通じて、僕自身すっかり奄専に魅了されてしまいました。学科は、医療事務学科、調理師(薬膳)養成学科、介護福祉学科、看護学科の四つ。カリキュラム、教育施設とも充実しており、社会人としての自立に向けた全てが実践的な勉強だけに、どの学科も授業風景は真剣そのものでした。それでいて、礼儀正しく爽やかな学生たちと頼りがいのある学校関係者との心和むやりとりが、学内に常に温かい雰囲気をかもし出しています。

特筆すべきは、ボランティア活動。地元小湊集落の高齢者を招待し、各学科が腕をふるっておもてなしする「小湊敬老感謝の集い」や「養護学校生招待クリスマス交流会」「24時間テレビ」など、本当に素晴らしい様々な活動を続けています。忙しい授業の合間を利用して、年間千名もの学生が何らかのボランティアをしているのだそうです。優しくて本当にいい子ばかりと先生が誇らしげに語る校風がうかがえます。

他にも印象的なのは、中孝介さんら名唄者が在学していたこと。もしも奄専がなかったら、地域が失ったのは労働力としての人材だけではなかったはずです。なお現在も3人組の島唄同好会が活躍中です。

 

夜光貝は語る

20100528-98

奄美看護福祉専門学校の建設工事がきっかけとなって発見された「小湊フワガネク遺跡」は、このたび「国指定史跡」となりました。

20100528-97小湊フワガネク遺跡が属する6~8世紀と言えば古墳時代。実に、日本最古の正史『日本書紀』において、奄美が「海見(あまみ)」として登場する以前のこと。出土された土器、鉄器、ヤコウガイの点数は膨大な量で、それもおそらくは全体のごく一部に過ぎません。長年、発掘・調査に携わった奄美博物館の高梨修主幹に、現地でお話をうかがいました。

これは実にエキサイティングな話です。日本国内で唯一、中世以前の歴史上の位置付けすらされてこなかった奄美。外部の権力構造の周縁として文献で拾われるのみだった奄美が、日本史上の大きな謎を解く鍵となり、視点そのものを大きく変えようとしているのです。

国宝・正倉院宝物(八世紀)に見られるなど朝廷貴族が愛してやまなかった夜光貝は、これまでその供給地が分かっていませんでした。証拠もないままに中国からの輸入だろうで片付けられていたところに、フワガネクをはじめとする奄美北部での大量出土。

ここからは僕個人の空想をお許し下さい。

中世以前の奄美は、大和にも琉球にも属されておらず、これまで考えられていた狩猟・採集の原始社会でもなかった。夜光貝製品の生産及び交易の拠点であり、高い経済力も文化もあわせ持っていた。巨大な工房では最高品質の夜光貝が加工され、背後には大勢の職人が食うに困ることのない広大な水田が広がっている。港は夜光貝製品と紬の出荷で賑わい、鉄器なども持ち込まれ、集落の賑わいも相当なものだったろう。大和から見れば、奄美は南方産物の最前線拠点であり、宝の島として竹取物語のモチーフともなったのではないか。。。

更に驚くべき話をお聞きました。昨年2月、共に岩手を旅した先輩が、その年の内にお亡くなりになりました。ガンに蝕まれた身体を押して、最期と覚悟の上の旅でした。彼が訪れたのが、源義経が果てた中尊寺。今も色あせることがない金色堂の螺鈿細工(らでんざいく)の原料は、奄美から届いた可能性もある夜光貝。そして、遺品の整理をしていた夫人から、岩手の友に贈ろうと、最後まで彼が作り続けていた夜光貝細工を見つけた、後は私が作業を引き継ぐのだと、高梨さんに連絡があったというのです。何とロマンあふれる贈り物なのだろう。遺跡の現場にいながら、生前以上に先輩が身近に感じられて、彼の思いが熱風のように胸に吹き込んで、息苦しくすらなりました。

20100528-94国の歴史モザイクにおいて、欠くことのできない重要なピースとなったフワガネク遺跡。実は年間2千人もの学者が現地を訪れるなど、これまでも十分に注目を集めてきました。国の支援のもと更に調査が進むことも期待されますが、「遺跡は人に知ってもらってナンボ」と語る高梨さんが意欲を見せるのは、景観の文化財指定や観光コースとしての整備などによる「地域活性化」です。フワガネクの一番の成果は、夜光貝細工が見直されて特産品に育ちつつあることだと笑う高梨さんは、実に研究者らしくなくて素敵だと思います。

フワガネク遺跡のほとんどは、いまだ深さ10mの砂地の中で眠っています。
島ッチュのアイデンティティを、更に雄弁に語る日を待って

懐かしい島の原風景を残す記憶の中の古見方(クミ)は、今や新たな時代の花咲かす、夢育む地となりつつありました。

開け夢の蕾!

 

これはボックスのタイトルです。

Profile

歩きすと

とうだひでひと 1967年、鹿児島県名瀬市(現、奄美市)生まれ。筑波大学卒。第2学群比較文化学類にて宗教学専攻。卒業論文は『奄美のユタ神のコスモロジー』。研究継続を志して帰郷した後は、在野としてアカデミックな枠を超えた奄美研究に没頭し、その一環として奄美探訪を書き綴っている。大学在学中には男声合唱団メンネルコールに所属し、パートリーダー兼ソリストを務める。音楽嗜好はクラシック系歌曲からハードロックまで全般。最近は、地域活性化バンド「濱田洋一郎と商工水産ズ」の一員として「音楽のまちづくり」活動に取組んでいる。
また、25歳から始めた相撲競技では、職域相撲での優勝経験。県民体育大会での監督経験、全日本実業団及び西日本実業団への出場など、スポーツマンの一面も。奄美市職員。

この記事は平成22年7月発行のマチイロマガジン第14号より転載しました。
掲載している情報は全て取材当時のものとなります。

 

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マチイロ編集局

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