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秋名・幾里集落

〜 奄美の古里 〜

画像奄美探訪ロゴ
道の島交通本社前からバスに揺られて30分余。トンネルを抜けると豊かな秋名田袋の風景が広がります。
「この辺で」と運転手さんに声をかけます。さて今回はどんな出会いが
いざ探訪-

 

さたやどり

奄美探訪 秋名・幾里集落 写真

庭先に高倉を構える「さたやどり(砂糖小屋)」の周辺は里山の風情。隈元範久さんのご家族ご親戚によって、年明けの1〜3月のみ昔ながらの黒糖作りが行われています。

先代がさたやどりを始めたのは平成元年。往年の黒糖作りを復活させたいとの熱い思いから、原料のさとうきびは勿論、釜も燃料も製糖方法も「昔ながら」にこだわり抜いています。

小屋の看板にある「じゃば」とは品種名の「ジャワ」から訛った呼称。「じゃば」は太茎種(たいけいしゅ)とも言われ、現在の奨励品種ほど生産性は高くありませんが、深く柔らかな味わいが特徴。途絶えていたその幻の品種を、親戚の裏庭に残っていた2、3本から現在の規模まで増やしたのだとか。

丁寧に灰汁をとりつつ煮ること2時間余り。その間、家族は談笑しつつ準備を進めます。甘い香りが漂い島口の談笑に島唄のハミングが絡む中、刻一刻と変わり続ける釜の中を見つめていると、記憶の奥に眠る古里に迷いこんだような錯覚を起こします。

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黒糖が煮詰まると、やどりの中は俄かに慌しくなります。温度や仕上げで5種類の製品を作り分け、その見極めは計器類に頼らず長年の経験が頼り。次々と小鍋や金型に高温の黒砂糖が釜上げされ、凄まじい緊張感の中、家族ならではの息の合った作業が続きます—そして出来上がった熱々の黒糖—むぅ。これは何とも野趣溢れる味。僕の黒糖に対するイメージを根底から変えてしまう一口になりました。

 さたやどり写真

【 さたやどり 】三世代による黒糖作り。掛け声や時には怒声が飛び交い、もの作りに対する妥協はない。

今後の夢は?と問うことはためらわれました。ウヤフジ(先祖)の息遣いが残るやどりで、愛する家族と共に昔ながらの黒糖を作る。時間の流れから外れてコモリ(淵)に入りこんだような、この「さたやどり」こそ夢の空間そのものだと思えるからです。

隈元さん一家

隈元さん一家

 

ターマン

ターマン田

【 ターマン 】奄美随一の田袋の中央に広がるターマン田。栽培のためには流水を維持しなければならない。

「ターマン」とは「田芋」。水田で育てるタロ芋の仲間で、独特のモチモチ感と味わいは他にないもの。煮込んで島野菜と合わせれば「ヤムララン(やめられない)」美味。ただ、これまで生産量が少なかったため自家栽培や庭先販売が主で、知る人ぞ知る幻の味でした。

東京の大学で農業を学んだ名瀬出身の若者・喜島大介さん(26)が、秋名田袋でのターマン栽培に敢然と取り組み始めたのは3年前。水田の確保、北限である口之島への視察、種芋の収集、そして栽培実験。秋名ターマン生産は、地元や有識者など周囲の協力もあって順調に基礎を固め、喜島さんが組合長となって生産組合も組織。次のシーズン(冬場)に向けて本格的な出荷体制が整いつつあります。

昨シーズンは田んぼの横に簡易直販所を設け、レシピを添えるなどして販売し好評を博しました。味と生産(増産)体制への不安はなく、いかに販路を拡大するかという点が課題とのこと。秋名に来れば美味しいターマンが手に入るという評価が定着する日は近いはず。

ターマン 写真

夏場はターマンの茎部「クワリ」が美味しい。豚の脂との相性は抜群で、炒め物で是非ぜひ試していただきたい。また、ターマン作りをきっかけに水田が再整備されることで、稲作もより盛んになることが期待されます。

 

農地を守る

食糧危機への不安は、黒雲のような確かな形を成して、僕らの享楽的な世界の上を急速に覆いつつあります。島ンチュの多くが将来は農業しなけりゃと思いつつも、農村の人口は減り、高齢化が進み、離農者は増え続けています。その結果、多くの農地が耕作されることなく、シマの文化や「結」と共に廃れつつあります。

シマの存亡にかかわる耕作放棄地対策に取り組んでおられるのが「秋幾環境保全会」の重山和麿代表(67)。シマでは「マロうじ」と慕われているリーダーです。

長年放置された農地を使えるまでに整備するには、伐採・客土・耕地・用水・施肥など実に多様な作業過程を積み重ねなければなりません。他にも地域の農地再生に至るには、所有者の了解を得ること、耕作者を育て斡旋すること、水路など公共設備の管理等などの継続が必要。農を知り、人を知り、シマを知り尽くした人格者にしかなしえない業なのです。

「僕のことはいいんだ」とマロうじは言います。これほどの苦労を買って出るのも、シマの将来を思えばこそ。秋名田袋の耕作放棄地解消は着実に成果を上げつつあります。一方、マロうじは地元集落民と入込み農家との融和にも心を砕き、新規就農者に対して厳しくも温かい眼差しで見守って下さいます。ほら、愛娘を抱いた喜島さんの家族が遊びに来ましたよ。

考えてみれば、大多数の日本人が農地を捨て「消費者」というモンスターに変異してから、未だ半世紀。その間、地球規模の環境破壊は加速しています。僕らの敵は、知らぬ間に刷り込まれた農耕にまつわる負の神話ではないか。今ならまだ間に合う。そんな思いを強くしました。

重山さんと喜島さん一家

重山さんと喜島さん一家

 

明日への轍(わだち)

ショチョガマの丘

【 ショチョガマの丘 】 旧暦8月の初丙の日にショチョガマが行われる丘から。以前は集落内の「東(アガレ)地区」「里地区」でも同時にショチョガマが行われていた。現存しているのは「金久地区」のみ。

ショチョガマの丘からは集落全景が一望できます。そこの田んぼは誰が使ってる?あそこのユビ田(泥田)にトラクターをいれよう。マロうじと喜島さんの農地保全の議論は続きます。

そしてマロうじは語ります。田袋があってシマがあって祭りがある。ここに立つと、それら全てがつながっていることが分かる。ひとつも欠けてはならない。

このシマには熱い人々がいる。明日への轍が見える。

奄美の古里、秋名・幾里集落。4月には田植えが行われ、早くも7月には豊かな稲穂が実ります。

平瀬マンカイ

【 平瀬マンカイ 】アラセツ(新節・旧8月初丙)の夕刻、ニライカナイから豊穣の神を招く舞台となる神平瀬(カミヒラセ・奥)と女童平瀬(メラベヒラセ・手前)。荒場(あらば)の波風にさらされ削られてきた様には、厳かな凄みがある。

 

これはボックスのタイトルです。

Profile

歩きすと

奄美探訪 秋名・幾里集落 写真とうだひでひと 1967年、鹿児島県名瀬市(現、奄美市)生まれ。筑波大学卒。第2学群比較文化学類にて宗教学専攻。卒業論文は『奄美のユタ神のコスモロジー』。研究継続を志して帰郷した後は、在野としてアカデミックな枠を超えた奄美研究に没頭し、その一環として奄美探訪を書き綴っている。大学在学中には男声合唱団メンネルコールに所属し、パートリーダー兼ソリストを務める。音楽嗜好はクラシック系歌曲からハードロックまで全般。最近は、地域活性化バンド「濱田洋一郎と商工水産ズ」の一員として「音楽のまちづくり」活動に取組んでいる。
また、25歳から始めた相撲競技では、職域相撲での優勝経験。県民体育大会での監督経験、全日本実業団及び西日本実業団への出場など、スポーツマンの一面も。奄美市職員。

この記事は平成22年3月発行のマチイロマガジン13号より転載しました。
掲載している情報は全て取材当時のものとなります。

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