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名瀬聖心教会

一粒の麦

奄美探訪07 ©まちいろ

奄美探訪07 ©まちいろ明治24年(1891年)12月21日。フェリエ神父によって奄美の地に「一粒の麦」が蒔かれました。

その後、苦難と信仰の歴史を重ねて、カトリックは奄美の地にしっかりと根をおろしています。

多くの信者さんが、周囲の人望も厚くまちの中核を担っておられることは、僕たちのよく知るところです。

 

 

まちと教会

奄美探訪07 ©まちいろ

支庁通りからみた昭和14年頃の「レンガみどう」 写真提供:指宿良彦氏

 

名瀬聖心教会「レンガみどう」正面(1922年頃)

名瀬聖心教会「レンガみどう」正面 大正11年頃(1922年) 写真提供:名瀬聖心教会

大正11年、奄美初の本格的西洋様式建築物として完成した名瀬聖心教会は、通称「レンガみどう」と呼ばれ親しまれていました。
戦禍に遭った後、建て直された木造の教会も昭和30年の大火で消失し、その後、現在の教会が建てられました。今も昔も、聖心教会はなぜまちの風景に欠くことのできない存在です。

 

奄美探訪07 ©まちいろ

1964年、帰国中の神父の尽力によって、教会再建を祝してアメリカ・ワシントン州の聖マテオ教会から祭壇が贈られました。この聖マテオ教会は、前年11月に暗殺されたジョン・F・ケネディ大統領の国葬が行われたことで有名。歴史の目撃者には、やはり重厚な威厳があります。

奄美探訪07 ©まちいろ

 

祈りの家

奄美探訪07 ©まちいろお話をうかがった小隈神父は、社会経験も豊富で懐の広い方。

教会は、静かに自分を見つめ、自分に向き合う祈りの家。キリスト者でなくとも利用できるので、是非気軽に寄ってもらいたいとのこと。

「人間は弱い」と神父はおっしゃった。僕自身、長時間お話していただいて心が軽くなったような。教会から見上げる空はひときわ澄んでいました。

 

 

家族

12月に入るとクリスマスまで「待降節」に入ります。聖心教会もイルミネーションで飾られ、まちに温もりをもたらします。

折りしも取材当日の夜は、信者さんを中心とする合唱団のコンサートが開かれるとのことで、取材後改めてお邪魔しました。

聖堂に入ると思わず息を飲みました。乳飲み子からお年寄りまで席を埋める人々が静かに耳を澄ましています。冷え込みの厳しい晩。リノリウムの床は冷たいはずなのに、アカペラの素晴らしい歌声と聴衆と共に創り出している柔らかな空気が、オレンジ色の光を放って聖堂全体暖かくを包んでいるようでした。

大きな家族なんだろうなと思いました。無神論者を気取るワーカホリックにとっても、クリスマスは家族に帰る季節。僕にも家族がいる。アンコールまで聴いた後、襟を立てて家路を急ぎました。奄美探訪07 ©まちいろ

 

フォトギャラリー

名瀬聖心教会について詳しくは公式ウェブサイトをご参照ください。
http://naze-mikokoro.com

 

これはボックスのタイトルです。

Profile

奄美探訪07 ©まちいろ

歩きすと

とうだひでひと 1967年、鹿児島県名瀬市(現、奄美市)生まれ。筑波大学卒。第2学群比較文化学類にて宗教学専攻。卒業論文は『奄美のユタ神のコスモロジー』。研究継続を志して帰郷した後は、在野としてアカデミックな枠を超えた奄美研究に没頭し、その一環として奄美探訪を書き綴っている。大学在学中には男声合唱団メンネルコールに所属し、パートリーダー兼ソリストを務める。音楽嗜好はクラシック系歌曲からハードロックまで全般。最近は、地域活性化バンド「濱田洋一郎と商工水産ズ」の一員として「音楽のまちづくり」活動に取組んでいる。
また、25歳から始めた相撲競技では、職域相撲での優勝経験。県民体育大会での監督経験、全日本実業団及び西日本実業団への出場など、スポーツマンの一面も。奄美市職員。

この記事は平成20年12月1日発行のマチイロマガジン第16号より転載しました。

 

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